【属性による女性たちの複雑な分断の先で】物分かりのいいフリなんかしなくていい

抑圧され支配され続けている”差別される側の人間”なのだとしたら、その問題を根源的なところから考えていきたいと思う。

でも、同じ属性や階層で”差別される側の人間”だったとしても、各々の考え方や生き方によって、分断されてしまう。それがとても残念に思うんだ。本来なら我々は連帯できるはずなのに。

そうだな・・

例をあげるなら、同じ”派遣社員”という属性だったとして、社会との向き合い方、思想、生き方はそれぞれ違う。

・私のように就職氷河期世代で契約社員やブラック企業の正社員などを転々とした結果、現在は派遣社員として働いている人。

・介護や家庭の事情から制約があり、派遣社員のような働き方しか選べなかった人

・実家が裕福だったり所得の高い配偶者がいるため、自らのお小遣い稼ぎとして派遣で働き十分満足している人

・子育て世代で、生活を維持するため、家庭と仕事を両立するため派遣を選んで働いている人

・やりたい仕事が派遣などの非正規でしか門戸が開かれておらず、やりがいと低い待遇の狭間で苦しみながら派遣で働いている人

上記にあげたのは、ほんの少しの例に過ぎないが、もう派遣社員の数だけ派遣でなぜ働いているのかという背景や理由があるはずだなんだ。

それで、私が気をつけたいと思うのは、ちょっと待遇のいい奴隷で決して満足するな、ごまかすな、物分かりのいいフリするなってことなんだ。

自分自身がこれまで働いてきた中で、独身・既婚・年齢問わず、非正規で働いているたくさんの女性たちに出会ってきたが、彼女たちの中には、お小遣い稼ぎ、暇潰しで働いているような今の時代にはわりと稀有な存在がいた。

彼女たちは、派遣(非正規)という待遇にも満足しているようだったし、問題意識もないようだった。実際に満たされた生活なのだと思う。でも、私から見れば、彼女たちもまた、紆余曲折を経て派遣に辿り着いた私と同じ「派遣という奴隷」だ。企業から都合よく扱われる調整弁に過ぎない。(独身なら)実家が裕福だし、(既婚者なら)夫がいるし、お金にも困ってないし、だから派遣でも大丈夫♪という、物分かりのいい奴隷になっちゃっていないか?という疑問があった。

また、非正規で働いている女性が「私は結婚できたから生活の心配はなくなったけど、もし結婚できていなかったら彼女たち(独身中年の非正規女性)のような貧困に陥っていたかもしれない」などという、相手の身を案じているようでいて、実際は自分が(結婚という制度によって)救済されたことに安堵している、そんな発言にもすごく違和感があった。

だって、結婚していようが夫がいようが実家が裕福だろうが・・派遣(非正規)という待遇で働いているなら、それは奴隷のままなんだよ。ちょっと待遇のよい奴隷程度なんだよ。都合よく扱われているだけ。あなた個人そのものは、安く買い叩かれて理不尽に搾取されていることにはかわりがないんだよ。だから、物分かりのいい奴隷風な彼女たちには、ずっと疑問を抱いてきた。

私たちは、本来、婚などで救済されるような存在であっちゃいけない女性がフルタイムで働いても一人で立てない収入しか得られないような社会構造に問題がある。

それを他の要因(結婚や実家の裕福さ等)で補えたとして、根本的な解決にはならない。結婚がセーフティネットになってしまう社会は、もう今の時代にはそぐわない。個人個人がひとりで立てるのに十分な収入を得られる社会がのぞましい(※もちろん高所得の女性も存在するが、男性と比べるとその差は歴然で、男女の賃金格差が解消されているとは言い難い。ゆえに多くの女性は結婚し庇護され家父長制のもとに生き続ける選択をする)

「能力不足だから低賃金なんだよ。努力不足だから自己責任だよ」という非難があるだろうことは承知している。じゃあ、逆はどうだろう?「高い賃金なのに能力不足。コネでイージーモードだけど努力不足」っていう逆のパターンだってこの世に溢れているだろう?東京医科大の入試女性減点事件でもあきらかなように、個人の能力や努力とは別の要因に左右されることがいくらでもある。

つまりは個人の能力が高い・低いによらず性別によらず、フルタイムで働く人たちが十分自立できるレベルまで社会的に賃金をあげていくことが重要なのではないか?個人の能力の話は、それが叶ってからの先の問題なのではないかな?(現状、最低賃金でフルタイムで働いたとして、健康で文化的な最低限度の生活からは遠い。それが問題だ)

このちょっと待遇のいい奴隷的な立場は判断を鈍らせる。まあまあいいよね?という風になって思考停止してしまいがちだが、それって誰かさんの都合のいいようにされているだけなんだよ。

誰かって?

それは考えていけばわかることだよ。特に女性たちにとって、まるで主体的に自由に羽ばたいていると錯覚するくらいに、存在してることに気づかないくらいの巨大で頑丈な鳥籠を用意してんのって、誰だと思う?

(やつらだ)

きっと薄々気づいている女性たちもいるだろう。でも、気づかないフリをして、そちら側に阿ったほうが楽に生きられる。苦しみを軽減できる。とりあえずは生活を維持できる。または、気づいた上であえて巨大な鳥籠の中で最大限やつらを利用し尽くそうとするしたたかな女性たちもいるだろう。だから、多くの女性は無意識に、または意識的にそちらを選ぶ。

そちらを選んで幸福だという人たちも多く存在していることを忘れちゃいけない。気づかず、または気づかないフリをしていても、それが本人にとって幸せな状態だと思わせてくれる安定に導くのだとしたら、「幸福」であると。それも確かに間違いではない。

私はそちらを選んできた女性たちを否定しないし、対立を望まない。問題への対応の仕方が異なるだけで、私たちが差別される側であることは、変わりはしないのだから。

だからこそ、目を覚ましてほんの少しでも行動や意識をひとりひとりが変えていくことで、この先の女性たちを取り巻く状況はちょっとずつ変わっていくはずなんだ。

女性には、既婚・独身、子供あり・なし、働いてる・働いてない、正規・非正規・・等々、その属性によって、複雑な分断があることは本当に悲しいし残念だ。

私が望むのは、そういった複雑な分断の先で、黒幕に気づいて連帯することだ。女性同士に分断を作ることによって一番得をするのは誰だ?

誰かの意識を都合よく変えることなどできない。本人が自ら気づくしかない。

とても苦しい作業だが、自分自身が置かれている状況を、冷静に客観的に俯瞰的にみたとき、そのあまりの惨状に目を覆いたくなると思う。私もそうだった。でも、それをまず受け入れなきゃいけない。私たちは生まれた瞬間から差別されて生きてきたという紛れもない事実。自分で望んで選び取ってきたと思っていた選択肢が、実は巧妙に選ばされてきたということ。

その事実を受け入れて、理解して、それから怒るんだよ。

「自分はまあまあ恵まれている」「うまく賢く立ち回れている」と思い込んでいる女性は、なかなか気づきづらいかもしれない。なぜなら現状の生活がそこそこ安定していると、自分自身が置かれている状況を見誤り、その支配構造に鈍感になってしまいがちだからだ。

ひょっとしてあなたが、今「まあまあいいよね?」「うまくやれてる」って感じていたとして、その「まあまあいい」状況について、どうしてそうなったのか根幹の部分から考えはじめたら、必ず辿り着ける。

ごまかさないで。ちょっと待遇のいい奴隷程度で、物分かりのいいフリなんかしなくていい。

いつでもスマイル?冗談じゃない。

怒れ。

不当な扱いには、抑圧には支配には、悪気ない風を装った差別的発言や行動には、ちゃんと怒らなきゃいけない。幼少時から無意識レベルで刷り込まれたミソジニーと徹底的に向き合うんだ。

そりゃあ楽だよ。気づかないフリをして権力側に阿ることは楽だ。でも、私はそちらを選ばないと決めた。小さな小さな私たちの行動の積み重ねがやがて大きな束になって、いつかこの先を変えていくだろうことを諦めたくないから。

きっとこれからも手探りだし、迷うし、何が正解かわからなくなって苦しいこともある思う。微力な自分にできることなど限られている。それでも少しでも変わっていくことを望んでいるから、考えて行動することを続けていく。

例えば、失礼な態度、理不尽な扱いを受けた、差別的な言葉を吐かれた時など、その場の空気が悪くなることを恐れて愛想笑いでごまかしてきたとして、怒りや悲しみを笑顔でラッピングしてきたとして、これからは、そういったシーンに直面したとき、当然、笑顔は絶やす。相手の機嫌をそこねないように神経を削るケア要員になどならないという気持ちで、怒るべき時に怒るという姿勢で、臨みたい。

ほんの少しの些細な行動の変化だけでも、積み重ねれば変わっていくはずだ。

フェミニズム,社会・労働問題

Posted by しがらみん