契約終了を告げられてから気持ちの整理がつかなかった【40代派遣社員の派遣切り・雇い止め】

2021年4月15日

派遣契約だが3月末で契約終了となった。次回更新がなかった。いわゆる派遣切りということになる。派遣切りにあったときの気持ちの変遷や出来事について、振り返りつつ書いてみたいと思う。

1月も終わろうとする頃、派遣会社の営業担当者から「今後の契約について話がしたい」といった旨のメールが届いた。

嫌な予感がした。今後の・・今後の契約について?

今後の?

これは、もしや契約終了のお知らせなのでは?そして、派遣会社の営業担当者と話したところ、予感は的中した。

3月末まである契約だが、次の契約更新はないこと、業務が落ち着いてきて、このまま継続はできない旨を伝えられた。

ある程度、予想はしていたし、これまで度々書いてきたように契約終了になる覚悟はしてきた。

もともと昨年の3月で契約終了になってもおかしくない状態ではあったし、それから1年間の延命措置だったと言えなくもない。そして、仕事量が減っていることは私自身が一番よくわかっていたし、契約が終わっても致し方ないだろうとは考えてきた。契約が続くならありがたい、でも契約終了になるなら、それはそれでいいとすら思ってきた。

それでも、実際、もう次の契約はありませんと引導を渡されると、正直とても複雑な気持ちだった。

その後、派遣先の指揮命令者と面談したところ、4月からの組織変更により私の所属チームが廃止になるという。確かに・・仕事量は減ってきていたし、まあ納得といえばそうだが、また組織変更?と思わずにはいられなかった。

思い返せば、これまで様々な雇用形態で数多の職場で働いてきたが、一方的に企業側の都合で切られたのは今回が初めてだ。

以前、派遣3年ルールで契約終了になったときは、そりゃあ複雑な気持ちではあったが、3年が上限とあらかじめ理解した上で働いてきたし、職場の人間関係に悩み、これ以上続けられないだろうと感じていたこともあって、3年での契約終了には、自分なりに納得していた。

その他の職場でも、人間関係や劣悪な労働環境といった様々な事情によって、自分から辞めることを決めたり、契約更新のタイミングで終わりにしてきた。

だから、企業側から首を宣告されることははじめての経験だった。予測はしていたとはいえ、率直な気持ちを打ち明けるならば、

むちゃくちゃショックだった

派遣ルール上限の3年まで働くことができず、もう次回の更新がないと通告されること・・それは思った以上に、私にとって落ち込む出来事だった。

自分なりに、これまでの経緯に納得し契約更新がなくても受け入れると思ってきたけど、いざその状況に直面したとき、気持ちの整理がつかなかった。

そもそも、私は長期の派遣で就業が決まって働きはじめた。ところが、数ヶ月後、組織変更によって部署が変わった。そして再びの組織変更で、はいサヨナラとあっけなく切られる。

私は当初、派遣3年ルール上限の3年間をまっとうするつもりで働きはじめたが、叶わなかった。

確かに仕事量が少なく、不要不急の派遣社員であることは私自身が痛切に感じてきたところだが、このコロナ禍で、このタイミングでポイ捨てされる自分が惨めに思えた。

結局は、企業に都合のいいように切られて捨てられて放り出されて、つくづく派遣とは尊厳を踏みにじられる働き方だと悟った。派遣社員を使う企業は、派遣で働く人たちそれぞれが一人の人間であり生活があることを認識していない。

私は、納得しているつもりだった。現状を把握して、契約終了になっても仕方がないと思ってきた。それでも、いざ、クビ宣告を受けると、冷静ではいられなかった。

「派遣なんてそういうもんだ」「それわかってて派遣で働いてたんだろ?」「正社員になれよ」「努力不足、自己責任」という弱っている相手を殴る言葉を平気で発する人たちの声が聞こえる。

でも、やっぱりどう考えもおかしいな、派遣制度は。企業にとってひたすら都合がいいだけだ。人間を人間として扱わない制度だ。

はじめて自分が契約更新なしを告げられて、想像以上に落ち込むものであること、怒りや悲しみや惨めさ、やるせなさみたいな、複雑な感情でぐちゃぐちゃになるということがわかった。

やっぱり、どんな状況であれ、1年以上働いてきて、自分の意志とは無関係に切られるというのは、心のダメージが大きかった。

クビ宣告されてから、しばらく気持ちの整理がつかなかったが、時間が経つにつれ少しずつ落ち着いてきた。

振り返って思うのは、いくら納得しているつもりでも、そう簡単に割り切れるものではないってことだ。どう自分の気持ちに折り合いをつけるか・・それがなかなか難しかった。

派遣社員,失業・無職

Posted by しがらみん