派遣の契約更新なしで感情の乱高下がすごかった【派遣切り・雇い止めの憂鬱から最終日までの気持ちの変化】

3月末で契約終了、更新なし。いわゆる雇い止め、派遣切りにあった。

クビを宣告されて冷静でいられなかったことは、前回の記事で書いた通りだ。

非常に憂鬱だった。クビ宣告された直後に比べて気持ちは落ち着いてきたものの、それでも最終日を迎えるまで、日々感情が乱れた。

年始に、偉い人たちに「今年もよろしくお願いします」と挨拶したが、何だよ、私を切ること確定してたんじゃないかよ。

心の中で、「3月までだけどね」とか苦笑いされていたのかなと思ったら、むちゃくちゃ虚しくなった。それから、指揮命令者だって、きっと年末あたりにはもうわかってたんだろうなあ・・。

契約更新なしを告げられてから、出社した日はいらん書類をシュレッダーにかけたり、PC上のデータを整理したり、身の回りの荷物などを少しずつ片付けはじめた。

そして、モチベーション下がりまくりで、もう全然やる気なくなってしまった。まあ、当然だよね。切られるのにやる気なんか出るわけないし、もうどうでもいいし、知らねえわって感じだ。もちろん最低限やるべきことはちゃんとやりつつ・・。そりゃあ表面上は淡々といつも通りに過ごしているけど、心の中は”無”だった。

そんな”無”の状態に、突如フツフツと怒りが沸き上がってきたかと思うと、落ち込んで暗くなって、また”無”になって、再び毒まみれになって、急に前向きになって、それから気づくと怒り出して、またしても落ち込んで・・

そんな感情のループの中にいた。ぐちゃぐちゃだ。

振り返ると、最終日を迎えるまで、感情の乱高下がすごかった。

契約終了を告げられるまでは、もっと私は冷静に受け止められると思っていたけど、まったくもってそんなことはなかった。契約が終了してもおかしくはない材料が揃っていたとしても、いざ通告されると「仕方がないよね」だなんて物分かりよくなんかなれなかった。

怒りの悲しみと惨めさと、恨めしいような気持ちさえあった。いや、これは、本当、実際に派遣切りにあってみないとわからない感情だと思った。自分が当事者になって、よくわかった。

コロナで出社は週2日程度で、意外にあっという間に時間が過ぎていった。テレワークがあったおかげで気まずさが若干緩和されたのは不幸中の幸いだった。これがもし毎日出社だったら、最終日まで精神的にむちゃくちゃキツかったんじゃないかな・・。

最終日が終わったとき、やっと自分の気持ちに区切りがついた気がした。

振り返って、派遣先の労働環境や人間関係は悪くなかった。いや、むしろよかったと思う。指揮命令者も人間的に信頼のおける方だった。一緒に働く方々も感じがよかった。派遣社員の私も正社員と同じようにテレワークができたし、派遣差別をほとんど感じない職場だった。

契約終了になったことは残念だったが、派遣先そのものはけっこう居心地がよくて悪くなかった。指揮命令者は最後まで私の次の仕事が決まっていないことを気にしていたようだった。たぶん契約を打ち切った罪悪感というか後ろめたさがあったんだろうなあ・・。

組織改正によって4月から指揮命令者もまったく別の部門へ異動になってしまったし、まあ仕方がなかったと今は割り切れている。

なかなか悪くない職場だった。様々な雇用形態で数多の職場を漂流してきた自分だが、こんなに人間関係の悩みがなく、業務に余裕のある職場ははじめてだった。契約終了という残念な結果になってしまったものの、人間関係のストレスなく働けたのはよかった。

契約終了を告げられてから日々感情が乱れたが、時間が経つにつれ少しずつ気持ちの整理ができたように感じる。

派遣切りになってしまった状況によって、沸いてくる感情は人それぞれ異なると思うが、私の場合は、最終的にはある程度は納得し、落ち着いた気持ちで最終日を迎えられたんじゃないかな。

とはいえ、派遣制度の構造的な問題とか、この先どうなってしまうんだろう?という漠然とした不安や複雑な感情は、契約終了して失業中の現在も消えることがない。

今回自分自身が派遣切りの当事者になってみて、つくづく派遣制度は破壊すべし、解体すべしと感じた。派遣制度については、これまでも何度か思うところを書いてきたが、今後も派遣で働いた当事者として考えていることを綴っていきたいと思っている。

派遣社員,失業・無職

Posted by しがらみん