努力したとかしてないとか無関係に全人類が幸福になれる社会になればいい

私は、40歳。就職氷河期世代。

いわゆるロスジェネだけれど、大学時代や高校時代のかつての友人や知人たちで、結婚もせず派遣社員などの非正規で働いているだろう人たちは、思い浮かばない。
自分の身分に負い目があるからこそ、順風満帆な友人や知り合いからはどんどん疎遠になっていき、今はほぼ交流はない。

だから、現在どうしているかよくわからないのだけど、おそらく私のようにアンダークラス(非正規・中年女性・独身)に該当するような人はいない気がしている。

いや?

いるのかもしれないが、おそらくそういった人たち(アラフォー独身で非正規で働いてるような人たち)は自ら音信不通になりがちなので、表面化しないだけかもしれない。私自身も、自ら連絡を絶った側の人間だ。

同じロスジェネでも新卒で大手企業に就職した人たちとは、次第に話がかみ合わなくなり、なんとなく居心地が悪くなっていき疎遠になっていったのは事実だ。

まあ、何が言いたいかというと、同じロスジェネでも新卒での就職活動がうまくいったり、たとえいかなかったとしても、のちのちホワイト企業の正社員になれた人たちは、未だ非正規で働くロスジェネたちを、「努力不足」「自己責任」「私は逆境から努力して正社員になれた。だから、未だ底辺を這いずり回っている非正規は自己責任」「救う必要なし」と言って、非正規ロスジェネを断罪しがちな傾向がある。

でも、それって、ちょっと別の視点が足りないなと常々感じていた。

まず「努力不足」をどうやってはかるのか?と問いたい気はする。努力を数値化できるのか。仮に数値化できたとして、そこに運やタイミングという別の要素や、持って生まれた環境や病気や事故・被災などの影響はないのか?

自己責任だけで片付けられる問題ではないと個人的には感じている。

それに、「自分は努力してそのポジションを勝ち取ったから、それができていない人間は自己責任、だから救う必要なし」というのは、あまりに自分本位すぎる。社会全体の幸福を考えていない。

「努力した人間のみが救われて、そうではない人間は死んでもかまわない」という考え方には異論を唱えたい。

私が考えているのは、こうだ。

まず、努力は正確に数値化できない。仮に数値化できたとしても、その他要因に左右される。つまり、努力したからといって報われる人生になるとは限らない(「努力した」「努力してない」をどこで線引きする?)

また逆に、努力をそれほどしていなくても、家庭が裕福であったり縁や運やコネクションに恵まれて、過不足ない生活をしている人たちもいる。
たとえば、東京医科大の入試不正問題など、合格ラインに届かない能力不足であっても、家庭が裕福でコネクションがあり金を積んだおかげで入学できる。
逆に、合格ラインに達していた女性たちは、女だからというあまりに理不尽な理由で減点され不合格にされる。血を吐くほど勉強し努力を重ねた日々は報われない。
これって、努力してない人間でも既得権益によって上にいけてしまうといういい例だ。この世には、こういった事例がごまんとあるんじゃないかな?

そう、つまり、人間の人生を「努力」という物差しのみで測って、身分を決めてはいけないのだ。

努力したとかしないとか、まったく無関係に、全人類が最低限の人間らしい暮らしができる世の中であることがもっとも重要なことなんじゃないかな。
(もちろん正当に努力した人が上にいけるような仕組みは必要なのだが、それは人々の最低限の人間らしい暮らしが保障された上に成り立つべきものだと私は考えている)

まず、フルタイムで働いているのに満足な暮らしができない賃金体系・社会構造が問題なのであり、その身分に落ちてしまった人間が努力不足だったか?ということとは、また別の問題なんだ。

誰もが最低限の人間らしい暮らしを保障される社会になるのがいい。

底辺を這いずり回る人間を「自己責任だし仕方ないよ」ってニヤニヤ笑って安全な場所から眺めている人間の品性のなさ。悪辣ですらある。

彼らは絶対に手を差し伸べはしない。そして考えもしない。一歩間違えれば、ボタンの掛け違えがあったなら、大事故や大災害に見舞われたなら、大きな病気にかかったなら、貧困家庭に生まれていたなら・・彼らだってそこに堕ちていたかもしれないというifを。

残念だが、このように他者の不幸や苦しみを燃料に生きている人間は、自分さえよければそれでいいので、社会全体の幸福について考えたりしない。彼らの考えを変えるのは、なかなか難しいだろう。

とするならば、やっぱり変えるべきは、このゆがんだ社会構造なんじゃないかな。

つまり、投票に行こうってことになる。とても残念なのは、非正規雇用の当事者であっても、あまり考えていなかったりする人たちが少なからずいることだ。自分たちの置かれている状況に無関心だったりすることだ。

たとえば、以前の派遣先の派遣メンバーたちは、私と同じいわゆるロスジェネ・非正規・独身女性だったわけだが、海外旅行やスイーツなどが趣味で、そこそこ充実した日々を過ごせているせいか、その言動などから、自分たちの置かれている状況について深く考えているようには思えなかった。同じ非正規独身中年女性でも、分断があるのは非常に残念だ・・。

まず、考えることだ。考えることからはじまる。

そして、少しでもこの状況がかわっていくように、なんらかのアクションを起こすことが大事なんじゃないかな。たとえ小さなアクションであっても。少なくとも、私は必ず投票にいく。選挙権を得てからずっとそうしてきたし、これからもそのようにしていく。

考える日々,社会・労働問題

Posted by しがらみん