一体誰が自己責任を叫んでいるのか

気になっていた。毎日毎日。

特にコロナの流行によって、これまでの日常が崩れていき、生活に行き詰まったり困窮したりする人たちが増えていくにつれ、ここぞとばかりに叫ばれる「自己責任論」

疑問だった。いつでも。

一体誰が自己責任を叫んでいるのか。

例えば、派遣社員(非正規)がコロナで休業補償されない、命を危険に晒して出社せざるをえない(正社員はテレワーク)、雇い止めにあった・・といったニュースを連日耳にする、目にするが、そういった場合、必ず聞こえてくるのは、窮状に陥った人を自己責任で断罪、糾弾する誰かの言葉だ。

「だって、派遣ってそういう働き方だってわかってやってたんでしょ?」
「休業補償ないとか当たり前」
「正社員は責任が重いんだから守られて当然」
「派遣なんて好きなように仕事を選んできたんだから、雇い止めにあったって当然のことでしょう?」
「なんで貯金しとかなかったの、失業した
場合に備えておくべき」
「だったら正社員になるべき。文句を言うな」

↑私がよく目にしたなあ、耳にしたなあと思う言葉をいくつかあげてみた。

すごく疑問だった。

もう一度言おう。一体誰かこのような言葉を書き込むのか、吐き出すのか。

まず、大前提として、コロナという異常事態によって窮状に陥った人たちを、その雇用形態、働き方から、「だって仕方ないじゃん」と切り捨てていいのか。

世間で「派遣社員」という働き方が、間違った認識をされていると感じることがある。
(ドラマの影響などもあるのかもしれない。あれは架空だ。物語として面白くするために誇張、嘘が散りばめられている)

派遣で働いている人の大半は生活費を稼ぐためだ。生計を立てるためだ。決して、お小遣い稼ぎや道楽などではない。
数ヶ月働いてあとは海外旅行、人生楽しんでます♪みたいなどこぞの派遣会社がCMなどで見せる世界とは、大きく乖離している。(いわゆる派遣の時給で、数ヶ月働いてあとは自由に人生を謳歌♪なんて生活が成り立つはずがないんだ。ちょっと計算すればすぐわかることだ)

もちろん、派遣で働いている方々の中には、上記のようなちょっと働いてあとは旅行や娯楽に当ててます♪といったいわゆる「お気楽派遣社員」という人たちも存在するかとは思う。結婚していて、夫の稼ぎがあり、生活には困っていないが、お小遣い稼ぎで派遣で働いてます♪といった種類の人たちも一定数いるだろう。

が、こういった種類の派遣社員はごく一部だ。大抵は、何らかの事情を抱えて派遣を選ばざるをえなかった、私のようにロスジェネ、就職氷河期世代で、いわゆる安定した職業に恵まれず、派遣で働かざるをえないといった人たちだと思う(現在の派遣社員に、20代〜30代前半が比較的少なく、中年が多いことがそれを物語っている。就職氷河期世代が20年経った今も、ずっと低賃金で非正規の席を埋め続けているんだ)

そんな風にフルタイムで実直に働いて仕事をこなしてきた人たちを、ただ「非正規」「派遣」という雇用形態だからといって、自己責任で切り捨てていいわけがない。

今回のコロナで最前線で命を張っていたのは誰だ?その多くは非正規社員だろう?
物流、スーパー、ドラッグストア、コールセンター、通販の倉庫ピッキング・・そこで働く人たちの多くを非正規が占めている。そんな非正規社員たちは、自己責任なんだろうか?
彼らが最前線で働いていたからこそ、この自粛期間、富裕層や正規社員の人たちの生活が回ったんだろ?

再三言おう。誰が自己責任を叫んでいるのか。

いわゆる人生の勝ち組か?
努力してその座を勝ち取ったと豪語する正社員様か?
まあ、その可能性はある。でも、あまりに視野が狭い。自己責任の暴言を吐く前に、昨今の労働状況、派遣制度の変遷などについて調べてみてはいかがだろうか。(彼らの言葉は、実態を把握せずにただイメージで吐かれている、または、自分の身近にいた非正規のケースしか知らない場合がある気がする。もっと知ろうとしてみてくれ、様々なパターンを、現状を・・)

または・・
実は同じ非正規労働者の誰かなのではないか?と背筋が凍ることがある。

同じように苦しい境遇の中で、相手の落ち度を探して「私はこの苦境の中でもちゃんと備えて貯金してきた。(同じ非正規で)それができてないアンタは自己責任。路頭に迷って、貧困に落ちて当然」とでも言いたいのか。

だとしたら、悲しすぎる。悲しくて仕方がない。
同じように弱者として搾取され続けているというのに、自分より苦境に陥った人たちをなぶるのか。そうなのだとしたら、「違うよ」って言いたい。あなただって、同じ弱者なんだよ。本当の敵はそこにはいないよ。弱い人を「仕方がない」と切り捨てても問題ない社会構造が作り上げられてしまったことについて、考えてほしいんだ。

コロナでネットニュースなどをみていて、気がおかしくなりそうだった理由のひとつに、こういった自己責任で他者を切り捨てる言葉たちがあった。

どうして、このような言葉を吐けるのか、書けるのか、理解できなかった。

弱者同士、もしくは「弱者」と「ちょっとの勝者」の傷つけ合いを、自らは直接手をくだすことなく、不遜な笑みを浮かべながら、傍観している誰かがいるというのに。
いわゆる勝者の正社員様だって、大きな権力の前では、「非正規よりちょっと強い弱者」程度なのに・・。意図的に作り出された格差の中で踊らされてるだけなのに。

なぜそれに気づかないのだろう・・。

本当に・・一体だれが自己責任で誰かを切り捨てて、責めて、断罪しているんだろう?

気づいてほしい。弱者を一方的に責めても社会はよくはならない。この社会構造、制度を変えていく必要があるということ。異常事態があったとき、(文字通りの公平は無理であっても)雇用形態や家族構成、性別、年齢などにかかわらず、誰しもが救われなきゃならない。狭量な精神で自己責任とか叫んでる場合じゃない。

私自身、派遣社員という社会的弱者の立場だからこそ、自己責任の言葉にはどうしても敏感になってしまうが、そんな自己責任の言葉を誰かに吐かないと、自分を維持できないほど病んでいる人たちが少なからずいるってことに、現在の日本の闇を感じてしまう。

格差が当たり前であってはいけない。意図的に作り出された格差を、自己責任、努力不足とすり替えてはいけない。


考える日々,社会・労働問題

Posted by しがらみん