生きるために結婚を選ぶしかないという悲劇【『ナイルパーチの女子会』での20代派遣社員の描き方】

ナイルパーチの女子会、今期のドラマでぶっちぎりで面白い。最後どう着地するのかなあ?想像がつかない。

女同士の関係性を描いたドラマだけど、そこに登場する派遣社員の扱いに愕然とした。

いわゆる20代の若くてかわいい媚びた雰囲気の腰掛け派遣社員みたいな描き方で、ちょっと「ん?」とは感じた。2021年現在、このドラマのようなイメージの派遣社員って、少ないんじゃないかなあ。

”派遣社員”って存在を、なんだか蔑みながら悪意をもって描かれてるような気がして、ちょっと不快だった。

原作を読んでいないのでなんとも言えないが(原作がけっこう前なのかなあ?)ぶっちゃけ今は、大企業の正社員との結婚を狙って派遣で働く若い女性なんて、いるかなあ?

私なんかは、就職氷河期世代で紆余曲折を経て現在派遣で働いているし、周りを見回してみても、わりとアラフォー世代の派遣社員が多くて、ロスジェネで新卒時にホワイト正社員としての椅子がなく、今も派遣で働き続けている不本意非正規っていう人たちのほうが多い気がするんだが・・。

まあ、それは置いといて、その腰掛け派遣社員みたいな20代女子の逆襲が衝撃だった。そして、悲しかった。

ああ、作者、これ描きたかったから、こういう(若くて可愛くてあまり賢くなさそうな20代女子)派遣社員っていう設定にしたのかな?と思った。

派遣先の大手企業の男性社員との結婚を決めた派遣社員の20代女子。その男性社員の浮気を主人公(正社員30代女性)から伝えられたときの言葉が悲しい。

もう家賃の心配したりする生活が嫌なんだよ。結婚相手に最初から希望なんか抱いてない。安心して子供を育てるため。結婚式には(結婚相手同様)スペックの高い結婚相手の友人の男性たちが参列するから、自分(20代派遣女子)の友人たちに出会う機会をあげたいんだ。女の友人たちと笑い合うためだ、

みたいな台詞があって、なんだかもう悲しくて悲しくて辛かった。

つまりは、20代派遣女子が派遣社員などではなく安定して収入を得られるような職業につけていたなら、生きるために結婚などする必要がなかった。でも、現在の社会構造では、女は結婚して子供を産むからと不当に給料を下げられて、男性の庇護がなくては生きづらいように設計されている。

実家の後ろ盾もなく、都会で派遣社員レベルの収入で生き続けなければならないとしたら、大企業の高収入の男性と結婚して安定した環境で子育てするという選択肢を選んだ、というのが苦しく辛かった。

そして、主人公(派遣先の正社員女性)が自分の努力で勝ち取ってきたと誇る環境や仕事や地位は、彼女が裕福な家庭に生まれ、勉強に励みやすいお膳立てされた環境で育ったからこそ得られたものであり、すべてが彼女の努力ゆえの結果ではない、ということを20代派遣女子は主人公の胸ぐらを掴みながら語るんだ。

むちゃくちゃ辛かった。悲しかった。この甘ったるい声の媚びた派遣女子のイメージがガラリと変わる瞬間だった。

こんな風に、本来なら結婚しなくて済んだかもしれない女性たちが、生きるために結婚を選ばざるをえないのだとしたら悲しすぎる。男性主体の社会で、結婚・出産は善と執拗に刷り込まれてきたため、無意識にそれが正しいと信じ込んで疑う余地なく、選ばされている女性たちも多くいることだろう(私自身も、その呪縛にずっと苦しめられてきた)

いや、私は、結婚してそれで幸せだという人たちも多く存在しているのなら、適正がある人たちが結婚することを否定しない(現状の結婚制度に替わるものがあればいいとは、常々考えているが、それはまた別の機会に・・)

でも、本来なら結婚せずに生きたほうが幸せだったかもしれない女性たちも、この社会構造ゆえに、結婚を選択せざるをえなかったのだとしたら、本当に辛くて仕方がない。これまで書いてきたように、結婚制度は男性にとって都合のよいもので、女性にとっては自由を奪うものだからだ。前回の記事で挙げた田嶋陽子さんの著書の中にも書いてある。

『女には、首の鎖が長いか短いかの自由しかない』と。

私自身は、独身でも貧しくても不安定でも、自分が決定権を持って主体的に生きたい

でも、安定のため、生きるために結婚を選ぶ女性たちの気持ちだって理解できる。そして、どうせ結婚して男性に所有されるなら、少しでも首の鎖が長いほうがいい、優しくて高収入で理解のある配偶者がいいと願うこともよくわかる。それで、婚活だなんて言って、条件のいい男性を血眼になって探す女性たちの気持ちだって、十分理解できる。

だからこそ、辛い。辛すぎる。

女性たちが主体的に人生を生きられないこと、生きづらいこと、それが辛いんだ。

もちろんお互いを尊重しあって結婚し、幸せな人たちの存在があるだろうことも承知している。それでも、これまで連綿と続いてきた歴史の中でミソジニーは当たり前のように男女共に刷り込まれており、どんな男性にも少なからず女性蔑視があることは拭えない。結果、表向きは尊重・同等・対等とされる結婚生活の中でも、気づかないうちに女性側に多くの負担がかかっているといったことはありうることだ。

(例えば、共働きで夫も妻も正社員で同等レベルの収入・労働時間だったとしても、家事・育児負担はおそらく女性に多くのしかかる。なぜかって?家事や育児その他のケア労働は女がやるものと連綿と続いた歴史の中で刷り込みがあるからだ)

(柔軟な考え方の男性でも、根っこには深いミソジニーがある。それはあらゆる場面で漏れ出るのだ。でなければ、現代日本でこれほどまでに日常の風景に自然にミソジニーが蔓延っている惨状を放置し続けられるはずがない)

どうしたらいいんだろうか。どうすれば女性たちが自らの人生を自分のために生きられるようになるのだろう?

いわゆる普通の一般的な女性たちが、主体的に生きるためには?

最近はそればかり考えている。なぜ、私たちはずっと自由を奪われてきたのか。そして、これから、自由を取り戻して生きるには、どうしたらいいのか。

多くの女性たちが目を覚ましたらきっと変わる。すでにたくさんの女性たちが声をあげているが、それでもまだまだ少数派だ。男性優位の社会構造の中で、とりあえずは安定した暮らしをしている女性たちにとって、目を覚ますこと、声をあげることは恐怖だと思う。男性基準社会の中で、そこそこ恩恵を受けている女性たちにとって、根源的な支配構造から目を背けたいという気持ちは理解できる。現状、男性に阿ったほうが生きやすい世の中だからだ。

男性を脅かさない従順な女性たちは、それなりに生きやすいかもしれない。でも、手綱は常に男性が握っているのだから、本当の意味での主体的な自由を女性たちが手にすることはない。

どうか気づいてほしい。目を覚ましてほしい。

気づくこと、目を覚ますことは辛く苦しいことだ。私は気づいてから日常の風景が変わってしまった。もう元の景色をみることはできない。でも、私自身のために、物分かりのいいフリしてごまかして知らないふりして生きるのをやめることにした。

以前も書いた通り私は私を疑い続けるので、今の考えもどんどん変化していくだろう。考え続けていくために、やはりもっと知識や情報を増やしていって、説得力を持つこと・肉付けしていくことが必要だ。

フェミニズム,派遣社員

Posted by しがらみん