時間がありすぎて考えすぎてしまうという弊害
わたくしは、しがらみん。アラフォー漂流おひとりさまだ。
さて、無職になってから、圧倒的に時間がある。
先月までは、1日実働8時間+昼休憩1時間+通勤往復3時間=12時間。
そう、平日は、最低12時間は労働がらみで費やしていたわけだ。
ところがどうだ?
無職になった途端、時間がありすぎるのだ。
だからといって、とりたてて有意義なことをしているわけではない。
不安な気持ちに支配される日々
常に「あー、この先どうなっちゃうのかな・・」「未来が仄暗い闇っ!」「仕事探さないとなあ・・」「はあ、毎日無為に過ぎていってしまうなあああ!」といった不安に支配されており、前向きに何かをしようという気持ちになれていない。
これが、「ずっと無職でよくね? 今が楽しければそれでよくね?ウェ〜イ!」みたいなノリだったなら、スーパーポジティブに日々を生きられる気がする。
が!
永久無職。
それは叶わない夢であることは、わたくし本人が痛いほど承知していることであり、無職のあとにはまた労働の日々が待っているだろうことが憂鬱なのだった。
そして、そんな不安定な気持ちで、ただただ時間だけが無駄にあるものだから、様々なことを考え過ぎてしまう・・。
以前の記事で書いたように、今の自分は、幸福度が下がりつつあるような状態のように思える。
特に、これはマズイ!と感じたのは、過去の様々な出来事を思い出しては、後悔や自責の念にとらわれて、負の思考の渦から抜け出せなくなってしまっていることだ。
時間がありすぎるせいで、考え過ぎてしまう。
無職になってから、ふいに過去に他者から投げかけられた言葉などを思い出して、煩悶したりしている。
また、これまでの自分の半生を振り返り、「どこで間違えた?」と背筋がゾっとするような絶望感に見舞われて、身動きがとれないような、そんな状態に陥ってしまう。
以前、このような記事を書いた↓
自分の選択の連続を正解にするために、毎日を精一杯生きようと思うのに、今の自分はそれができていないように思う。
なんとなくいろんなことに疲れてきたし、そもそも自分がやりたかったこともよくわからなくなってきた。
とりあえず働いて忙しくすることは、「考え過ぎずにいられる」という点では、そう悪くもないのかもなと思う。
(同時に収入も得られるわけだし・・)
”感情の揺れ”から自由になれない
「なぜこんなに苦しく不安なのだろう?」という気持ちと徹底的に対峙したいと思う一方で、とりあえず忙しくして、そういった感情から目を背けるということもアリだろうか?とも感じる。
(ただし、忙しさによる思考停止ほどやっかいなものはないということも、身をもって経験している・・)
とにかく最近、考えすぎていて、ちょっと疲れた。
なぜ過去を振り返って後悔したり卑屈になったり自己憐憫にとらわれたり自己嫌悪で苦しいと思うのか・・
その根本の原因について、自分が納得できたらいいのにね。
それらの感情を自分なりに受け入れて消化できたらいい。それができたら不安から解放されるのかな?
それとも、こういった種類の不安とやらは、一生つきまとうものなのだろうか。
40年生きてきて、”過去の出来事を思い出して落ち込むような感情の揺れ”から一度たりとも自由になれたことはない。
そういった感情に支配される時間が多いか少ないか・・その程度のことであって、決して自由にはなれない、これらの感情から。