10年前に買った服を普通に着ている
わたくしは、しがらみん。アラフォーおひとりさま薄給派遣社員だ。
さて、よく片付けの本など読んでいると、「数年着なかった服は、今後着ることなどないから潔く処分しよう!」といったようなニュアンスの文章を見かける。
が、果たしてそうだろうか?
私は、10年前の洋服を今でも普通に着ている。もっと言うと、大学生のときに着ていた服を、35歳を過ぎて、突然再び着はじめたりしている。
そう、10年どころか平気で20年近く前の服を今でも着るし、数年寝かしておいた服を、ある日突然再び着はじめるということも度々ある。
だから、数年着ない服は今後着ることはない、とは言い切れない。
(え?私だけ・・なのか?)
そういうことで、数年着ない服を、なかなか処分することができない。
だって、ある日突然また着はじめることがあるからね。
まあ、そんなんだから、モノで溢れてしまうのだろうけどね。
以前の記事『本当に欲しいものは即決する・迷わない ・すぐ買う』でも少し書いたが、私は、服が好きなほうだ。いや、むしろかなり好きなほうだ。
といっても、決して自分はお洒落な人間ではない。オシャレの反対側の住人だ。だけど、着る服には、自分なりのこだわりがあって、気に入って購入した服には愛着があり、なかなか処分することができない。
私の母は洋裁や編み物が得意な人だったので、子どもの頃、手編みでセーターを編んでくれたり、ワンピースやブラウスなどをたくさん作ってくれた。
そういうこともあって、服は消費するものではない、という感覚がどこかにある。
私が学生の時分に母が編んでくれたセーターを、齢39にして普通に着ている。これ、いま着られるんじゃね?と、数年前に再び着てみたら意外に違和感がなく、ここ数年、毎年着ている。それくらい普遍的なデザインであり、手作りの服って、時代や流行に左右されず着続けられるものが多い気がする。
洋服を着るという行為を効率化し、シーズンごとに着捨てていくというひとたちもいるだろうし、今の時代にはそういった洋服の消費の仕方が合っているのかもしれない。
でも、自分はなんとなく、服を着るという行為を、効率化して消費していくということはできない。
ジョブズみたいに、いつもイッセイミヤケのシャツを着て、着用する服を標準化するという行為は、服を選ぶ時間を減らし、他のことに注げる時間を生み出すことだと思う。
服を制服化するという考え方は、メリットも多いと感じる。
↑ジョブズのタートルネック、これな。
けども、うーん、やっぱり私は、いろんな服を着たいし、いくら気に入った服でも同じデザインのものを何着も所有して着続けるのは無理そうだ。
気に入ってるなら、10年前の服を着続けてたっていいんじゃね?って思うけどなあ。
まあ、端からみたら10年前の服を着ているだなんて貧乏くさいのかもだが、服ってさあ、ただ単に消費されるだけのものじゃないと思うのだよねえ。
厳密に言うなら、消費される服と消費されない服があるんじゃないかな。
たとえばユニクロなどは消費される服だと思う。
いや、ユニクロのヒートテックなどにはかなりお世話になっているけども、正直、インナーとか部屋着以外でユニクロを選びたいとはあまり思わないのだよあ。もちろん、時折Tシャツなどデザイナーとコラボとかで面白い服もあるとは思うのだけど、う〜ん、やっぱりユニクロとかは、消費される服の代表格って感じかな。
決してユニクロを否定しているわけじゃなくて、そういう服(消費される服)のあり方もアリだとは思う。
ただ、私自身は、消費されない服を選んで着続けたいと思ったりする。なんのブランドだとか価格だとか、そんなことはたいして関係なくて、好きな色・好きな柄・好きなデザイン・着ていて心地よい、理由はよくわからんけどなんか好き、自分にピッタリ・しっくりくる服っていうのが大事だって思うんだよな。
だから、その服が10年前だろうが、20年前だろうが、気に入った服は着続けてしまうなあ。
要は、消費される服と消費されない服をうまく使い分けて、愛着があって気に入っている服なら着続けちゃう、そんな感じだ。