自由な時間が多すぎると幸福度が下がるらしい
わたくしは、しがらみん。アラフォーおひとりさま薄給派遣社員だ。
さて、先日『ミニマリストにならなくていい・賃貸宇宙のカオスへようこそ』という記事で、ミニマリストにはなれない、なりたいとも思わない自分だが、その思想には共感する部分が少なくない、ということについて少し触れた。
ミニマリスト界(というのがあるのか不明だが・・)で有名な佐々木氏。彼の著書を読んでいたときのことだ。
佐々木氏の言葉には説得力があり、なるほどなあと思わせてくれる。共感する部分も多い。
そこに、ある研究によると、1日7時間以上自由時間があると逆に幸福度が下がるということが書いてあった。
つまりは、自由は多すぎても少なすぎてもいけない、ということか。
以前の記事『その独女、絶不調につき』でも書いた通り、私の毎日は、ほぼ労働で終わってしまう。いつも、あと数時間、労働以外のことに注力できる自由な時間がほしいと感じる。
私は、この先もずっとひとりだと思う。
だから、老後の資金はそれなりに貯めておきたいと考えていて、薄給ではあるが、フルタイムで働くことで、なけなしの貯金に励む日々だ。
だが、以前も書いた通り、フルタイムで働き続けていると、労働以外に自由になる時間が少ない。幸い、私は、今のところ、自分の食扶持さえ稼げればそれでいい身分だ。
だったら、現在の自分が幸福になれるような暮らし方がしたいと感じる。
現在の派遣先が終了したら、次の仕事は、もう少し労働時間を減らしたいと思う。でも、どうなるかはわからない。
結局またフルタイムで働くかもしれない。
貯金したいのだった。とりあえずの目標値があってそこまでは貯めておきたい。
一人暮らしの10年間はほとんど貯金ができなかった。
実家に戻ってから本格的に(?)貯金をはじめたので、まだまだ足りない額だ・・。
老後の資金の問題が、やはりチラついてしまう。
老後を気にして今を楽しく生きられないのは、馬鹿らしいとは思う。かといって、先のことを気にせず今を好き勝手に生きていいか?といったらそうとは言い切れないなあ。
幸い、私は、満足の閾値が他者に比べて低いように思う。
海外旅行やテーマパークなど、お金のかかる趣味はない。休日のたびに旅行に行く人たちはすごいとすら思う。アクティブだなあ、と。
旅行やイベントなどに行きたいと思っているのに、お金や時間がなくて行けない状態なら、おそらくストレスだろう。
だが、私は、もともとそれらにさほど興味がないのだ。
旅行などは、行けるなら行きたいが、行けないなら行けないで全然構わないたぐいのものだ。自分にとっての優先順位が低めだ。
私は、休日があるなら、引きこもって制作の続きをしたいと思う。ひとりで好きなようにずっと時間を潰せる。
休日のたびに、引きこもって「あー、時間が足りない!」と、いつもいつも思う。
やることが山のようにあって、まったく終わらないのだよ。
やることがないという状態がない。
その点では、幸いだったとは思う。私は、いつでもやりたいことは決まっていて、ただそれだけをやり続ける時間とお金がないだけだ。
残念ながら、「やりたいこと=稼げること」ではなかった。「やりたいこと」が「稼げること」であったなら、もう最高なのになあ。
やりたいことで稼げる、それほどいいことはない。が、現状、残念ながら、そうはなっていない。
ゆえに、労働をせねばならない、といった状況だ。
そうなんだよ、ないのは、時間とお金だ。
(あ、他にもないものはたくさんあるけども。というかないものが多すぎるので、あるものを数えたほうが早いけども・・)
うまくバランスのとれた暮らしができたらいいのだけどもなあ。
先にあげたように、1日7時間以上自由時間があると、逆に幸福度が下がるというのなら、適度な労働は決して悪くないってことだと思う。
ただ、「適度な」というところが重要だ。これが難しい。ブラック労働はもちろんのこと、一般的なフルタイム(1日8時間労働週5日)ですら、最近の自分にとっては、きつくなってきた・・。
中年に突入して、体力が落ちている。精神力も擦り減っている。
とにかく、来年は無職になるだろうから、あらためて働き方を考え直したいと思う。