きっと何度でも間違える、だからこそ今を正解にするしかない
これまでの日々を振り返ってみて、いくつもの分岐点があったと思うんだ。
あのとき、こうしていれば、あれを選んでいれば、そこへ行かなければ・・振り返ると、いくつもの後悔、心残りがある。もし、違う選択をしていれば、今とは違う自分だったかもしれない、まったく異なる暮らしをしていたかもしれない、と。
アラフォーにしておひとりさまで薄給派遣社員で、くすぶり続ける日々なんかにはならなかった?
マジョリティよろしく、しかるべきときに結婚し、しかるべきときに子どもを産み、ワーキングマザーとして働いていたかも、なんて?
日々は選択の連続だ。
自分自身が選んだ結果の連続でもあるし、選ばれなかった結果の連続でもあるんだ。
だから、どうしようもないんだ。
いつも思うのは、心残りの分岐点に戻れるのだとして、そこで別の選択をしたとして、それでも、自分はまた間違える。たぶんそんな気がする。
そうだよ、何度も何度でも、間違える。
SF小説にあるみたいに、未来の記憶を保持したまま過去に戻れるのだとしたら、同じ過ちを犯さぬよう慎重に「正解」を選択することができるかもしれない。
でも、ただ単に過去の分岐点に戻れたとして、やっぱり自分はまた同じ間違いをする。
一つ目の分岐点で正解(と思われる)を選んだとしても、次の分岐点では不正解を選ぶんだ。私は、きっと何度も間違える。
それでやっぱり、辿った道は異なっても、ルートが違っていても、結局、今の自分になってしまう気がするんだよ。
だから、今を正解にするしかないんだった。正直、現状の自分を「正解」とは思えていない。これが正解なのかは、まだわからないんだ。
問題の解答は、死ぬときにようやくわかるんだよ。だから、今を正解にするために、まだまだ悪足掻きしなけりゃならない。
これでいい、これがいいと思える時がくるまで、まだまだ、まだまだ、やらなけりゃならない。
ここで終わるわけにはいかない。自分の選択の連続を、正解にするために。