壮大にして圧倒的な夢、それは高等遊民
わたくしは、しがらみん。アラフォーおひとりさま薄給派遣社員だ。
さて、わたくしの壮大にして圧倒的な夢は、高等遊民だということは、以前にも記した通りだ。
高等遊民。
その言葉の意味をウィキペディアから引用する。
高等遊民(こうとうゆうみん)とは、日本で明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由がないため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと。
「高等遊民」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2017年4月24日 (月) 12:23 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org
わたくしが、そもそも高等遊民というワードを知ったのは、高校の現国の授業で読んだ夏目漱石の「こころ」であったと思い返す。
当時、「こころ」を扱った授業があまりに面白すぎて、もう20年以上前のことなのに、未だにクラスメイトが作った奇天烈なプリントを思い出すほどだ。
もう斬新すぎる「こころ」の解釈。
先生とKの想像図をイラストで図解し、なぜか最後は、LUNA SEAの「MOTHER」に着地するという、意味不明でありながら説得力に満ちた解釈。当時、腹がよじれるほど笑った。
それはそれとして、「こころ」が不朽の名作であることは、誰もが認識するところだ。
そう、それで高等遊民。
なんという甘美な響き・・っ!
永遠に続くモラトリアムみたいな感じだろうか?ああ、高等遊民になりたいものだなあ・・そんなことを十代にして考えていた。なかなかのアッパラパーぶりである。
もともと、具体的に将来何になりたいとか、日々生活していくにはどれくらいお金が必要とか、結婚して幸せな家庭を築く・・といったような堅実なことをまったく考えていなかったように思う。
ただひとつ言えるのは、好き勝手に生きたい、なんとなくいい感じに生きたい、というふんわりとしたことだけは常に考えていた。
漠然とであるが、「作る人」になりたい、という思いは強くあった。
そんな感じで、高校時代から現在に至るまで、高等遊民への憧れを募らせながらも、ブラック企業でサービス残業の日々を送ったり、離職票を改竄されたり、もはや高等遊民とは程遠い生活ぶりへと堕ちていったわたくしであった。
現在は、薄給派遣社員ではあるが、定時で帰れるし労働環境は悪くない。それなりに納得して働いている。
しかし、フルタイムで労働している時点で、まだまだ高等遊民になれそうもない。
あまりに壮大な夢を見すぎたのだろうか。高等遊民など、うたかたの夢なのだろうか!?