年収100万円で豊かに生活できる?
一体どのくらいのお金があれば、心身ともに豊かに暮らせるのだろうか。その最低限のラインってどのくらいなんだろうか?
それは、ひとによって異なると思う。欲望の閾値が高ければ高いほどお金は必要で、低ければ低いほど少ないお金で暮らしていけるだろう。
とはいえ、まさか年間10万円とかでは暮らせないだろう!?
国民年金保険料や国民健康保険料をきちんと納めながら、過不足なく暮らせるお金っていかほどだろう?
年収100万円で豊かな生活?
そんなことを考えていたとき手に取った本。年収100万円の暮らし。
中高一貫の進学校から東大へ。大手メーカーで働くも30歳で退職し、年収100万円(不労所得)で20年生活しているという著者。
この著者は、料理が趣味だ。生活とは食べることと切り離すことはできない。豊かに暮らすことができるか否かは、料理をどれだけ楽しめるかとイコールな気がする。
友人たちにも恵まれて、美味しい料理を作り食す生活は、豊かだと思った。実践的な節約術もあますところなく記してあり、生活を工夫すれば、年間100万円で暮らすことができるという、心強い本書であるが、私がもっとも興味を惹かれたのは、こういった生活を続けるにあたっての思想・考えである。
あえて年収100万円生活を続けるのはなぜだ?
いわゆるエリートコースを捨てて、なぜかような生活を続けているのか?
著者である山崎寿人氏は、自らを「天職のプータロー」と称している。
山崎氏が、いわゆる社会の常識や価値観にとらわれず、自分の心のままに生きている姿は、共感する部分が多かった。
それでも、世の中には「なにかなさないと生きている意味がない」「せっかく東大を出てこれか?」と言ってくるひとたちは少なくないだろう。
それを言ってくるひとたちは、いい大学を出て大手企業に就職し、結婚して幸せな家庭を築く・・という旧態依然とした価値観にとらわれすぎなんじゃないか?と、感じる。
自分と違う他者を認める
昨今は、ダイバーシティが叫ばれ、多様性を受け入れる社会になりつつあると思うが、それでも、マジョリティの「こうでなければならない」という押し付け・思い込みは、依然としてなくならない状況だ。
自分と違う他者を認めるといいながら、認めない人たちがどれほど多いことか。
ついつい、私自身も、旧態依然の価値観にがんじがらめになっているひとたちに違和感を感じてしまうのだが、彼らの価値観も尊重せねばならないだろう。
私は、社会の一般常識、世間が幸せであると認めるもの(社会的地位、結婚、子ども等)を何ひとつ持っていない。が、だからといって、自らを貶めようとも思わないし、世間様の常識を否定しようとも思わない。
すべては自分の心の裡にある
ひとつ間違いないことは、すべては自分の心次第、ということだ。他者を変えることはできないから、自分の心を変えて世界を変える、それしかないと思う。
すべては自分の心の裡にある。
ただ、正直、いろんな意味で、現状の自分に納得していない自分がいることも確かだ。 ああ、そうだよ。私は、現状の自分に納得してない。これでいい、これがいい!とは思えていない。
だから、現実と理想の乖離を埋めるために、日々あれこれ悪足搔きしている最中だ。本やネットで、様々な人たちの言葉を知るたびに、多様な価値観を尊重しつつ、いつも自分はどうしたいのか?ということを考えている。
自分なりの”幸福”について考え続ける日々はまだまだ続く。そう、まだまだ!