マウンティングには2種類ある

2018年5月20日

わたくしは、しがらみん。アラフォーおひとりさま薄給派遣社員だ。

マウンティング。

そう、相手より自分が上だと優位性をアピールする行為。女子の世界では、日常的に行われている行為だ。男同士の世界でも行われているのかも?いや、ある程度人間が集まる集団の中では、必ずマウンティングは行われているといっていいだろう。

私は、これまでの人生、マウントする方かされる方かと問われれば、完全に後者、マウンティングされる側の人間として生きてきた。おそらく、これからもマウンティングされる側の人間であり続けると思う。

アラフォーの現在も、非正規の派遣社員という下層の属性、中年で独身の女等々、マウントされる側の要素を多く孕んだスペックであるゆえ、マウンティングされることは、ままある。

まあ、そういうわけで、わりとマウンティングされること自体には慣れているほうだ。であるので、マウンティングされたからといって、それほど感情的に怒ったり苛立ったりはしないほうだ(とはいえ、落ち込むし傷つくし、のちのち怒りが大火事になってなかなか鎮火できなくなったりすることも、当然ある・・)

むしろ、なぜこのひとは、私にかようなことを言ってくるのか?示してくるのか?その理由を考えることにしている。

マウンティングには2種類ある

ここ最近、よく考えるのは、マウンティングには、2種類あるのではないか?ということだ。

ひとつは、いわゆる文字通りのマウンティング、相手より自分が上だと優位性を示す、自慢話的なものや、最終的には自分の優位を示す自虐と見せかけたエピソードなどだ。

もうひとつは、マウンティングされる側の受け取り方によって、マウンティングだと思われてしまうもの。

前者は、いわゆるマウンティングで、このマウンティングの仕方にも様々な種類があるように思うが、それについてはここでは割愛する。

私がとても気になっているのは、後者だ。
受け手の心の有り様によって、相手はマウンティングのつもりでもなんでもなく発した言葉を、「マウンティングされた!」と受け取ってしまう。
そして、なんて嫌な人なんだろう!と憤る。でも、よ〜く冷静になって考えてみてくれ。それって、あなたの心が勝手に引き起こしたものなんじゃないの?

私は、相手の発言からマウンティング要素を感じたとき、先に挙げたどっちに当てはまるか?を常に考える。

面白いくらい爽快に自慢話的な、まごうことない文字通りのマウンティングだと理解できる場合もあるし、「おや?これは私の卑屈なこころがマウンティングされたと思わせているのでは?」という微妙なラインなものもある。

受け手側の捉え方によって引き起こされるマウンティング

う〜ん、何かわかりやすい例はないかな?

例えば、

「わたしって、子どもの頃、マクドナルドとかファストフードを食べたことがなかったんだよね。スナック菓子とか駄菓子も食べたことない。おやつはいつも母の手作りだったんだよ。大人になってやっとポテトチップスとかマックが食べられて、ジャンクフードがこんなに美味しいとは思わなかった!」

と言われたとする。

これに対して、マウンティングだと感じるか?
「なんだよ、子どもの頃から食べるものに気を配って、手作りしか食べなかったってか。お育ちがいいんですねー。母親から愛されて育った、大事にされて育った自慢かよ」と思うだろうか。

これは、受け手の捉え方による部分が大きいのじゃないか?
これがマウンティングかは、その会話の文脈や発言のニュアンス、その発言した人物のバックグラウンドなど、会話内容そのものだけでなく、その他の情報も必要だ。

本当に心から他意なく口にした言葉かもしれないし、ひょっとしたら「自分はファストフードとか駄菓子なんか食べる家庭じゃなかったのよ!」というプチお育ち自慢なのかもしれない。

ただ思ったことを言葉にしただけで、マウントしようなどと思って発された言葉ではなかった場合、もしこの言葉をマウンティングだと感じるなら、それは受け手の心がそうさせたのだと思う。

そう、相手は、別に自慢するつもりでも何でもなく自然に思ったことを言っただけ。それなのに、受け手は、勝手にマウントされた、自慢された!と傷つく。それは受け手側の卑屈な妬み嫉みの心が生み出した仮想マウンティングなのじゃないか?

だから、会話の中で、「あれ?」と感じたとき、その相手の発言の真意を考える。そして、相手が自分を貶めようとかマウントしようなどと思ってなどおらず、ただ自然にその言葉が出てきたのかもしれない、と想像できるのだとしたら、直情的に怒ったり勝手に傷ついたりするのはよくないだろう。

私自身、相手の言葉に敏感に反応しすぎて、勝手に傷ついたりしてしまうことが少なくない。あまりよくないことだ。

言葉を冷静に受け止める

相手の発言の意図を冷静になって見極めてみるといい。それが文字通りのマウントなのか、受け手である私の心がそう思わせているのか。

とにもかくにも、あらゆる言葉は、受け手側の解釈によってマウンティングになりかねない。だから、言葉を発する際にどんなフレーズを選ぶのか、ということは、ますます重要になっていくと思う。

そして、文字通りの自分が上だとアピールするマウンティングをしてくる相手がいたら、なぜこのひとはこんな発言をするのか?と考えてみる。マウンティングの裏には、マウンティングする側の持っているコンプレックスなどが隠されているように思う。
たぶんそこにこだわりがあるからこそ、マウントして優位性を示そうとする、裏返せば言葉にしないと自信が持てない劣等感が見え隠れする。

そう、マウントさえも観察の対象にして面白く消化していこう。マウントされる側の人間としては、言葉を冷静に捉えて、感情的にならずに、相手の真意を探る。マウントされた際には、これはゲームだと思って会話に臨むと意外に悪くないかもよ。

結局は、すべては自分の心次第で、マウンティング被害を最小限にとどめることができる。日々鍛錬だよ。

とはいえ、マウントされることに慣れてはいけないと思う。自尊心を傷つけられていることを安易に受け入れてはいけない。看過できない言葉を浴びせられたときは、その場で怒りを伝えたほうがいい。やられっぱなしでいいわけがない。

自尊心を傷つけられたまま放置し続けると、小さな怒りを募らせて大火事になってしまうんだ。だから、その場で、相手に応戦することも、時には必要なんじゃないかな。

考える日々,しがらみの人間関係

Posted by しがらみん