配偶者に生殺与奪権を握られてるのって背筋が凍る

ネットをさまよっていたら、たまたま「子なし専業主婦になりたい。恵まれすぎていて羨ましい」といったような言葉を目にした。

ほう?

10年前くらいの自分だったら、「確かに。いいよなあ。働かずに夫に養ってもらって、家事なんか2人分だとそれほど負担はないし、育児がないから、趣味とかに時間を費やせて、特権階級だよなあ〜」とか思ったかもしれない。

でも、今なら、特にそのようには感じない。

だって、配偶者に生殺与奪権を握られてんですよ。怖すぎでしょう!

きっと何をするにも配偶者の顔色を伺って過ごすのだろう。無意識に夫に気を遣い機嫌を損ねないように毎日を生きるのだろう。それはあまりにも過酷な日々だ・・。

働く夫と専業主婦という構図は非常に不均衡なのだが、子供のいない専業主婦となると、その不均衡ぶりが子供のいる専業主婦に比べてさらに著しいものになる。

というのも、子育ては社会的に価値や意義のある行為とみなされるが、子供のいない専業主婦の場合は家事・ケア労働を担っているとはいえ、収入や社会的地位のある夫に比べて、より負い目を感じる立場になりがちだからだ。

”子供のいない専業主婦”と一口に言っても、子供が欲しくて叶わなかった場合と、最初から望まなかった場合では事情が異なるし、人それぞれ抱えている背景、環境が違うので、決めつけることはできない。

”子供のいない専業主婦”という立場に十分満足し、配偶者との関係も良好で、自由を謳歌し幸せに暮らしているという人たちもたくさんいると思う。そういったケースの”子供のいない専業主婦”なら、特権階級と言えるくらい恵まれているかもしれない。

かつての若い頃の自分は、そういった”子供のいない専業主婦”の知人に対して「働かずにお金のことを気にしないで趣味に没頭できたりして、いいなあ〜」と羨んだりしたこともあった。

けれども、今の私はそのようには考えていない。

それどころか、その関係が持続するのか?という不安が常にうっすらとつきまとうような苦しい生活だとすら感じる。万が一、繋がれていることすら忘れていた長い長い鎖がどんどん短くなっていき、自身を支配して抑圧するものになったとき、容易に逃げられないかもしれない。

長年専業主婦をやってきたなら、すぐに自分を食べさせていけるような仕事に復帰するのは難しいかもしれない。貧困に陥る可能性が少なくない。

女性ホームレスの9割近くに結婚歴があるというデータも存在する↓

そもそも女性の賃金は安い。前提として男に養われて生きるだろう女の仕事など家計の補助程度の安い賃金で構わないという旧態依然とした価値観と制度がいまだに残っているせいで、女性は容易に自立できない仕組みになっているからだ(既婚女性のみならず、独身女性も「女の仕事は安くて構わない」という価値観と制度の影響を受け続けている)

実家が裕福ならそちらに支援を要請するという方法もあるが、誰もが余裕のある実家を持っているわけではない。

だとしたら、やはり、夫という庇護者から婚姻関係を解消されてしまったときに、または自らが婚姻関係を解消したいと思ったときに、自身でサバイブする術を持っていたほうがいいように感じる。

もちろん、配偶者との関係がずっと良好で、死が二人を分かつまでそのままの生活が続く場合もあるとは思うが、子供のいない専業主婦の誰もが特権階級でい続けられるとは限らない。

だから、”子供のいない専業主婦”が一概に幸せで羨ましいとは・・私は思わない。

私の個人的な考えなのだけど、たった一人の人間に自分の生殺与奪権を握られているというのは、背筋が凍るんだ。

配偶者の気がかわったら?長い間一緒に暮らすうちに、すれ違いが生じてきたら?

繋がれていたことすら忘れていた長い鎖が、どんどん短くなって自分の自由をジリジリ奪っていくのだとしたら?

考えただけでおそろしいよ。

配偶者に決定権を委ね、経済的に依存して生きるのは危険すぎる。

たとえ経済的に安定していなくても、私は、ひとりの人間として自己決定権と尊厳を持って生きたい。

もちろん、経済的に安定した上で自己決定権と尊厳を持って生きられることが最も望ましい。私が今しばしば考えているのは、いわゆる単身女性が経済的にも精神的にも安定して安心に暮らしていける社会が実現するにはどうしたらいいのだろう?ってことだ(今の自分は失業者だし、これまでずっと経済的に不安定な労働の日々を過ごしてきたので、残念ながら経済的な安定から遠い立ち位置だ・・)

夫に経済的に依存している、養われている立場だと、いくら家事労働というものがあっても、どうしたって不均衡な関係になる。

ただ、生存戦略として意図的に専業主婦になることを希望して、思い通りのポジションを手に入れたというのなら・・ある意味、結婚制度をうまく利用した(賢い?したたかな?)女性といえなくもない。

誤解なきように申し上げたいのだけど、専業主婦の方々を否定しているわけではない。無償で家事労働する妻を夫が経済的に養うという構図を自然だとする結婚制度自体に疑問がある。現状の結婚制度ゆえ、女性は真の自由を手に入れる機会を奪われている。

「専業主婦は働かなくていい御身分」というイメージが蔓延しているが、どうだ?

もし、女性差別がなく、男女の賃金格差がなく、ごく平凡でありふれた女性が一人でも自立して十分に安心して生きられる世の中だったなら、結婚して専業主婦にならなくてもいい女性たちが少なからずいたはずなんだ。生存戦略としての結婚などしなくてもよかったかもしれないんだ。

そもそも、結婚制度を作り、専業主婦を生み出したのは男たちだ。女たちは好き好んで専業主婦になったのか?そうじゃない。過去の歴史の中の女性たちには、それしか選択肢がなかったんだ。

現在では、共働き世帯のほうが多くなってきている。一方で、自ら進んで専業主婦を希望する女性たちも増えていると感じるが、女性が生きていくためには結婚して夫に扶養されるという選択肢が未だにセーフティネットとして機能してしまっているからだ。

一見恵まれた特権階級と思われる子供のいない専業主婦の存在の背後には、根深い女性差別がある。この女性差別で充満した家父長制がはびこる社会という枠の中で、最大限、辛い思いをせず安心安全に生きたいと願ったしたたかな女性たちは、”子供のいない専業主婦”になったんだ(子供が欲しくて叶わなかったり、病気を抱えていたりする場合などの専業主婦の方々は、それぞれ事情が異なると思うので、一概には言えない部分があることを付け加えておく)

女性たちには、その枠(家父長制で充満した社会)の外の自由がない。枠の中で、どうにか不利益を被らないように、安心安全に生きたいと願ったとき、そこに専業主婦という選択肢があったとして、それを選ぶ(選ばされる)女性たちを否定などできない。

構造の問題が大きい。ラディカルフェミニズムは、その枠自体、家父長制を破壊・解体しようとする思想だと解釈している。

フェミニズム

Posted by しがらみん