国も年齢も時代も違う私たちは同じ痛みの記憶を持っている【82年生まれ、キム・ジヨン】

日本で刊行されるやいなや大変な話題となり、ずっと読みたいと思っていた『82年生まれ、キム・ジヨン』をようやく読んだ。

きっと女の性別で生まれ女として生きてきた女性なら、誰しもキム・ジヨンと同じような経験をしてきたはずだ。時代が違っても、年齢が違っても、国が違っても、根幹にある女性差別は非常に根深く、どんなときも私たちを苦しめてきた。

この一冊には、女が生まれてから経験するであろう女性差別が丁寧に鋭く描写されている。女なら誰しも、記憶の片隅に追いやった辛く苦しい経験の断片があるはずだが、それらを呼び起こされるようだった。辛かった。

私は、キム・ジヨンのように結婚もしていないし、子供も産んでいない。それでも、キム・ジヨンの痛みが悲しみが苦しみが怒りが、もう感覚としてわかるのだ。

特に、地下鉄で若い女の子が妊婦のキム・ジヨンに席を譲りながら放った言葉、あの場面に涙が止まらなかった。

キム・ジヨンは82年生まれ。私は彼女より4歳上。日本と韓国で国も文化も違うわけだが、その女性差別の構造や経験が少なからず重なる部分があった。

特に新卒時の就職活動のあたりの描写は、韓国とは事情が異なるものの、私自身が就職氷河期ど真ん中ということもあり、かなりリンクする部分があった。

私の場合は、きょうだいは姉ひとりで、兄や弟はいなかった。だから、男のきょうだいとの関係で理不尽な差別というのを経験したことはなかったが、男のきょうだいのいる女性は、きっとキム・ジヨンのような経験が多かれ少なかれあるのじゃないだろうか。

韓国と日本の女性差別の現状に重なる部分を感じる一方で、ちょっと違うなと思ったところもあった。たとえば、韓国では結婚しても名字が変わらないので、夫婦の姓が異なるという点だ。

日本は現在、選択的夫婦別姓の議論がなされているところだが、韓国ではとうにそんな地点を過ぎている。キム・ジヨンが結婚し婚姻届を記入する際に、子供の姓をどうするか夫と話す描写があるが、夫の姓を選ぶ人たちが圧倒的に多いという理由で、子供を夫の姓にすることに決める。母親の姓にすることもできるが、そちらを選ぶと何か特別な理由でもあるのでは?と勘繰られたりするから、とのことだ。

結局は子供は夫の姓にするというのがスタンダードのようだが、夫婦が別姓でいいというのは、ずっと日本より自由だと感じた(日本が異質なだけか?)

私は、若い頃からずっと漠然と、もし万が一結婚したとして自分の名前を失いたくないと思ってきた。でも、知人の中には、結婚して夫の姓になることが嬉しいという人たちもいた。価値観は様々だ。だから、夫の姓になりたい女性はそうすればいいが、姓を変えたくない女性は、そのままでいられるという選択肢があるほうが当然いい(個人的な考えを述べるなら、選択的夫婦別姓以前に、結婚制度そのものを見直していく必要があると感じている)

解説で書かれているが、キム・ジヨンの夫以外の男性の登場人物が名前を持たないこと、弟や父、祖父、義父といった表記になっていることが強烈なミラーリングだということに、唸った。

そうだ、女はいつでも誰かの娘で誰かの妻で誰かの母だった。名前がなかった。でも、この小説の中では、女は誰もが名前を持っている。

何か希望を抱いたよ。だってこの小説が世界的にベストセラーになったということは、たくさんの女性たちが女性差別について考え、痛みや悲しみや苦しみや怒りを共有し、それを変えていきたいと思っているからだよね。

この小説を読んで共振した世界中の数多くの女性たちと連帯したい、非対称で不均衡な構造を変えていきたいとあらためて強く強く思った。

フェミニズム

Posted by しがらみん