再びの緊急事態宣言&もっと自由になることに注ぎたい

再び緊急事態宣言が発令された。

前回と同じくらいの制限をしたほうがいいと個人的には感じる。もちろん補償とセットで。こんなゆるゆるな緊急事態宣言では、あまり効果は得られないのではないかな・・。東京の感染者数2000人を超え、このままだと増えていく一方だ。

前回の緊急事態宣言時にはフルリモートになった派遣先だが、今回は引き続き出社とテレワークを交ぜながらの勤務となった。

これまで週2日出社してきたが、今後も変わることはないようだ・・。きっと再び緊急事態宣言が出されてもフルリモートにはならないだろうと予想はしていたのだけど、この感染大爆発の中、出社するのはやはり恐怖を感じる。

そして、わりと今まで気楽にやってきた在宅勤務なのだけど、今回の緊急事態宣言中は、かなり詳細な報告書を提出せねばならなくなり、むちゃくちゃ憂鬱だ・・。

というのも、正直たいして仕事量がないので、そんなに書くことないんだよなあ・・。不要不急の派遣社員である自分の状態が可視化されちゃう感じで、この状況が長引けば、3月末での契約終了の可能性が高まる一方だよ。

派遣でもテレワークさせてもらえているのはありがたいと感じているが、3ヶ月ごとに次の契約更新はあるのか?と気を揉むことに疲れてきた。まあ、どうなっても受け入れる次第。

そして、どうも最近、この先のこと(老後のこととか・・)がどうでもよくなってきた。「どうでもいい」というと投げやりで消極的、諦めとか自暴自棄みたいなイメージかもしれないが、う〜ん、ちょっとうまくは言えないのだけど、そういう感情とも少し違う。

「こうでなければいけない」「こうあるべき」という社会規範みたいなものから、少しずつ自由になりつつある自分を最近はまざまざと感じている。だから、また職を失ったところで、まあ、どうにかなるんじゃないかな。

そうはいっても、まだまだ私は他者の目を気にしているし、幼い頃から刷り込まれてきた社会規範から完全には自由にはなれない。

この先の日々は、ずっと私を見えないロープで縛り続けてきた社会規範を疑いつつ、自由になることに注ぎたい。心から開放されたいと思う。先人の女性たちの戦いの歴史に感謝すると共に、今後は私も微力な一個人ながら、できることを増やしていく。

すぐに迎合しないこと、愛想笑いでごまかさないこと、他者を落として笑いをとるような言動を徹底的に軽蔑すること、その場の空気を読んで不本意な同調などしないこと、それから、相手が説明をするに足る人物か、対話するかどうかは私自身が決めるということ、強い意思を持って生きること・・

あげていけばきりがないが、女性であるからこそ当たり前のように強いられて、自分自身もそうでなければと無意識に刷り込まれてきた社会規範に異議を唱えながら、従わないことを増やしていきたい。

もともとあまり従順に生きてこなかった(生きてこれなかった)自分だと感じるが、それでも社会の大前提みたいなものに無意識に従ってしまっている自分に気づく瞬間が幾度となくあって、もう重症だというくらい、気づくことすらできないほどに、当たり前のように、生まれた瞬間から、支配され抑圧され続けてきたんだな・・と今ならわかる。

そして、示された前提に沿わない自分であることに罪悪感を抱き続けることまでをも強いられてきた気がする。「こうあるべきとされることをしなかった、できなかったのなら、ずっと反省して生きろ」そんな圧力を感じながら、今日までずっと過ごしてきたんだな。

もっと若い頃に気づけていたら、もっと早く自由になれていたかも?でも、今だからこそ、若い頃を過ぎたからこそ、今ようやく目が覚めたのかもしれない。

まだまだ数えきれないほどの制約の中で、刷り込みの中で、もがき続けるのだろうけど、それでも少しの希望を見出して力強くいきたいと思う。

考える日々,派遣社員

Posted by しがらみん