2021年は力強い1年にしたい

2021年がはじまった。

コロナ感染拡大はとどまるところを知らない。

まったく先が見えない。きっと昨年よりももっと悲惨な状況になるだろうことだけは想像できる。マスク、手洗い、消毒を励行し、三密を避けて、会食せず、細心の注意を払いながら日々を暮らしていても、感染するリスクと隣り合わせだ。いつコロナに感染してもおかしくない。

とても怖いし不安だ。

コロナに感染して死ぬかもしれないという恐怖。コロナで仕事を失うかもしれないという不安。

私が暮らしているのは、自己責任の自助の国。弱者や高齢者は死んでくれてかまわないという強いメッセージを国から感じる。絶対に救わないという頑とした意志を感じる。

東京1日の感染者数1000人超えしてもなお何もしない政府に絶望しかない。何もしないどころか、Go Toで感染拡大を推し進め、コロナを大義名分にして、弱者や高齢者を淘汰したいのか?とすら思う。

コロナで先行きは不透明で不安や恐怖を感じる日々ではあるが、その一方で、私自身のごく個人的な心の裡をあらわすのなら、火を灯せ、飛び散れ火花!といったところだ。

2021年は力強くいきたい。

メラメラと瞳の奥に火が揺らめいている。昨年も書いたが、私の中の無数の点々が繋がって強く切れない糸になったんだよ。自分のこれまでを振り返って、様々なシーンで違和感を覚えたとき、なぜそう感じたのか?ということについて根源的な部分からやっとやっと気づいたんだ。

とするならば、やはりたとえ小さな個人で微力であっても、怒りの炎を燃やし続けたいと思うし、声をあげていきたいし、行動で示していきたいと思っている。

このブログでこれまで書いてきたテーマとは若干ズレるように思うので、今後深いところまで触れるつもりはないのだけど、ちょっと書くことはあるかもしれない。

根っこの部分では全部繋がっていることだと感じるので・・。

この一連の気づきについて吐露するとき、理解されづらいどころか、確実に否定・批判されるだろう、さらには罵倒されるだろうということがわかるので、もうちょっと自分の中で咀嚼したいと思うのと、あまりこのブログを過激なものにしたくないという気持ちが少なからずある。

(一方で、きっと深い部分まで書くことで共感を得られるだろうことも想像できる。私が顔も知らない複数の他者の言葉や書物などから目が覚めていったように、私の言葉も誰かに気づくきっかけをもたらせるかもしれない・・)

以前も書いたかもしれないが、私はこのブログに自分の本当の本当に思ってることなんて、ほんの少ししか書いてない。やはり匿名とはいえ、何かを恐れているんだと思う。腰抜けだよ。

今年は、今考えていることをもっと肉付けしていって説得力を持たせられるように勉強が必要だと思うのと、私自身が日々の暮らしの中で、何度も訪れる選択する場面において、これまで疑問もなく選んできた選択肢そのものを疑い続けたい。

今まで選ばされてきたものを、やっと捨てるときがきた。

いや?私は「選ぶように仕向けられてきたもの」を、わりとこれまでの半生の中で「無意識に選んでこなかった」ことが少なからずあった気がしている。

だから、今から意識して選ばないことをしたとして、選択の結果はさほど以前と変わらないことが多いかもしれない。が、「無意識に、選ばない」のと「気づいた結果、選ばない」のでは大違いだ。

今後は、「気づいたからこそ、選ばない」を増やしていく。

よし、2021年は、熱く燃えるような力強い1年にするぞ。積年の違和感が、怒りが、大きな大きな炎になって、火花を撒き散らしながら、私を突き動かしているのを感じるぞ。

考える日々

Posted by しがらみん