コロナまみれ&やっと気づけた2020年

長年愛用していたパソコンが突然動かなくなり、急遽新しいパソコンをセッティングした。

パソコンを新しくするにあたってモニタも購入したのだが、なぜかモニタに繋げるとネット接続が不安定になってしまう。wifiで他のデバイスは問題なく繋がっているのに、なぜ・・。パソコンをモニタから外すと問題なく繋がる。

検索して調べてみると、いろいろ繋げてるコードがよくない(?)ようで、抜いたら繋がるようになったりして、あれこれ試してみているが、まだちょっと微妙な感じだ。しばらく不安定な状態が続きそうだ・・。

ただでさえ年末の慌ただしい時期にテンテコ舞いだったのだが、追い討ちをかけるように、ぬっわんじゃこりゃああ!!?ということが連続して起きて、その対処に追われて、ブログを更新する余裕がなかった。

今年もあとわずかというタイミングで、今年を振り返りつつ、ようやくブログを書いているところだ。

さて・・

今年はコロナまみれの1年だった。誰もが例外なく同様だと思う。もちろんその影響の大きさに個人差はあれど・・。

私の場合は、労働という点では、派遣契約がなんとか更新され今のところ仕事を失ってはいない。でも、来年にはどうなるかわからない。年度末には終わるのではないか?と覚悟はしている。今度こそ次はない気がしている。

現派遣先で働きはじめて1年以上経った。不安定な派遣契約だが、どうにか続けていられているのはよかったかな。

にしても、これまで様々な雇用形態、業種、職種で働いてきて、やりがい搾取的なブラック労働を多く経験してきてしまったからかもしれないが、現派遣先での業務量はかなり少なく感じる・・。

以前の記事でも書いたが、こんな状況だと、いつ契約終了になってもおかしくない。

コロナの副産物として、在宅勤務できたことはよかった。年内は週2出社・週3テレワークを続けてきたが、来年はどうなるだろう?コロナ感染者数は爆発的に増えていく一方だが、いくら増えても以前のようにフルリモートにはならない気がしている・・。

それにしたって、コロナがなければ派遣社員の私がテレワークを経験することはなかったように思う。はじめて在宅勤務をしてみて、自分にとってはメリットのほうが多いと感じた。

健康面(身体)では、とにかく絶不調だった。夏や秋頃に比べて症状はおさまってきつつあるが、依然としてよくない。

精神面でも、全体的にネガティブで元気が出ない1年だった。私の悪い癖でとにかく考えすぎる。ただ、考えすぎたおかげで、「まだまだ考えてもいない」と思えたことはよかったかも。そうなんだよ、考えていると思っていたのだけど、もっともっと必要だし全然足りないと感じた1年だった。

考える道すがら、強烈な気づきがあったことは収穫だった。

うまくいえないが、夏頃までの自分と今の自分は、同じようでいてまったく違う。そんな感じだ。これまで私が当たり前と思って受け入れてきた前提の前提を疑う。そのまた前提を疑う。その繰り返しだと思った。

得体の知れないモヤモヤが言葉を持ちはじめたんだと思う。

映画や音楽、美術や小説や漫画、ドラマや演劇、テレビ番組、テレビCM、漫才のネタ、ネットニュースの見出し、広告のキャッチフレーズ、誰かの何気ない一言、外出先でのちょとした出来事・・

日常のあらゆる場面で当たり前のように私を取り囲む創作物や広告、誰かの言葉や行動・・それらの中に、なぜか理由ははっきりとはわからないが、違和感や嫌悪感、不快感やモヤモヤとした感情や疑問を抱く種類のものがあった。

なぜこれらに対して嫌悪感や不快感や拒否反応があったのか、その理由がわかった。幼少時から40代の現在に至るまでの日々の中で、当時はただただ違和感や嫌悪感やちょっとした疑問として記憶の断片に吸い込まれていった感情の数々に、「どうしてそう感じたのか?」という理由を今なら説明できる。

これまでの私の中の無数の点がやっと糸になった。それもちょっとやそっとじゃ切れない強靭な糸に。やっとやっとわかった。

ただし、私は私の考えていることを、随時点検する必要がある。これでいいか?それでいいか?他の可能性はないか?というのをずっと考えていく必要がある。

(また、「気づくことができた=幸福になれる」という式は必ずしも成り立たない。気づかないほうがよかったということもある。むしろ気づいたことで正直ちょっと苦しくもある。ただ現時点での私は、そういった苦しさも含めて「気づけてよかった」と思う)

来年はどうなるかまったく見当もつかない。コロナで世界はどのようになっていくのだろうか。2020年は忘れられない1年になった。

なんとか生き延びた、そんな1年だった。

考える日々

Posted by しがらみん