他者との関係を諦めたくない

人付き合いは苦手だ。

振り返ってみると、こどもの頃からそうだった気がする。きっと相手は、自分と話していても楽しくないだろう、一緒にいたいと思っていないだろう、そう考えてきた。コンプレックスまみれになる思春期以前の小学生低学年といったような年齢のときから、そのように感じてきた。
その理由は、今でもよくわからない。なぜ私は他者と同一ラインで対峙することができなかったのか?
年を重ねるにつれ、様々なコンプレックスが生まれる。そうなると、ますます他者と関係を築くことが困難になった。まず、いつも前提として、「他者は自分を好きではない」という思いがあった。

時折、親しくなれそうな相手がいたとして、やはり、その先、もっと深く親密な関係になることを、自分は避けてきたように思う。せっかく心を開いて近づいてきてくれた相手に対して、真摯に向き合ってこなかったツケ。それは、現在の自分に至った当然の結果のように思う。

アラフォーの現在、私の人間関係は、ほとんどが職場での人間関係であり、ある程度割り切って日々をやり過ごしているため、ストレスはあるものの、本当の意味で深い苦しみからは、遠いところにいるように思う。

以前、『職場での人間関係は最も低い優先順位でいい』で書いた通り、職場の人間関係は、辞めてしまえば終了できる、終わらせることができる、その程度の関係性でしかない。

そんな日々が悪くもないと思うし、ひとりで好きなように過ごしているのも嫌いではない。孤独は悪くない。
けれど、どこかで、あー、自分には足りないものがある、欠けているものがあると感じる。
ひとりがいい、ひとりでいい、と嘯きながら、やはりどこかで私は、他者との関係を諦めていないのだろう。現在の暮らしは、深い苦しみもないかわりに、大きな喜びもない。他者ときちんと向き合えばこそ、苦しいこともある一方で喜びも大きいと思えるのに。

わかってる。気づいてる。おそらく、若いうちに体当たりしておくべきだった。もっと勇気を出すべきだった。振り返って、自分の間違いを悔やんでも、やり直すことはできない。年だけを重ねて、失敗すらしない。なぜなら、行動しないから。
もうこんな年齢だし、大きな喜びもないけど深い苦しみもない現在も悪くはないだろう?と言い訳してきた気がする。

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偶然、書店で手にとったこの本は、私をザワザワさせた。う〜ん、自分は回避性パーソナリティかもしれないと思った(当てはまる部分とそうでない部分があり、よくわからないが・・)
そして、あのブドウ酸っぱいさながらに、手に入らないものを否定して見ないふりをして、自分はこれでいいといって勝手に自己完結することは、違うのじゃないか?と思えた。
赤毛のアンや野口英世のエピソードは大変興味深く読んだ。特に、野口英世に対しては、この本で書かれているような人間像をまったく抱いておらず、とても驚いた。

それで、やっぱり、私は、諦めたくないんだと思った。他者との関係を。どこかで、願っているのだと思う。深く分かりあいたいと。であるならば、自分から努力しなきゃならない。勇気を出さなきゃならない。
でも、それをしない・・。今のままでいいやと。そのループか?

人類の最大の目的は、「幸福になること」
これはおそらく間違いない。すべては幸福に辿り着くため。
幸福になる必然は、やはり他者との関係性の中にあると思う。世の中を斜にかまえて、本気で他者と向き合わない・向き合えない・・そんな自分は幸福から遠い人間と思える。

最近は、確かに、孤独をよしとする種類の本が続々出版されていて、書店でもたくさん目にする。こういった本たちに共感する部分も多いのだけど、『対人距離がわからない』を読んだとき、ひょっとして私は自分をごまかしていたか?とすら思えた。「孤独ときちんと向き合うこと」と、「他者との関係を放棄すること」は、まったくの別問題と感じる。

いつも、次こそは、ちゃんと他者と向き合いたいと思っている、願っている。いつもいつも、人間関係を諦めながら、諦めきれていない自分を発見する。どうしようもない。どうしようもないぞ。

考える日々

Posted by しがらみん