あの頃の執着が薄れていく

過去を振り返ってみて、私はわりと他者に対する執着心が薄いほうだったのではないかと思う。どちらかというと淡白な人間なのではないかな。

が、それは自分で自分をそのように認識しているだけであって、別の角度からみたら、そんなことはなかったかもしれない。

ひとつ言えるのは、他者(人間関係)に対する諦めは早い方だった。もうこの人はいいやと思ったら、自分からあっさりと縁を切るし、逆に相手からフェードアウトされたことも多々あったと思う。

要は、私は努力して縁をつなぐということができない人間で、相手からもその価値がない(つながっている価値がない)と思われる人間だった、ということだ。だから、私はひとりだ。

そんな私であるが、振り返ってみると、過去にほんの数人、執着したなあと思う人たちがいる。

執着のレベルは人それぞれ違うから、その執着がどの程度かをうまく言語化できないが、執着心が薄いほうだと自認する私にとって、なかなか執着したなあと思える人たちだ。

現在、その人たちを思い返すと、もう何も感じはしない。時間の流れが執着を薄れさせて、今なら客観的にあの頃を思い出せる。すでに自分の中で消化できていることに気づく。

なんというか、大げさに言っちゃうなら愛憎とでもいうのかな?好きで嫌いで嫌いで好きだったのかな、と。

多分、認めてほしかったのかもしれない。私の価値を。
なんだよ、私の価値って?と今なら失笑してしまう。ちゃんちゃらおかしいよ、な〜にが私の価値だ。かたわらいたい。

私は、過去に知り合って執着していた人の名前を、ネットで検索したりはしない。
ちょっとした知り合いなら、なんとなく思い出して「今どうしているだろう?」と興味本位で検索することが稀にあるが、執着していた相手については、あえて近況を知りたくないと感じてきた(執着して気にしていたからこそ、知りたくないと思った)

でも、不思議だ。偶然、ネットなどで自然と近況を知ってしまうことがあるのだが、あの頃のように感情的にならない。心は乱されない。
むしろ、「ああ、今こんな感じかあ?へえ?」と思うほどだ。あの頃、才能に嫉妬して好きで嫌いだったような感情は、なんというか、もう沸かなかった。

なんだか、懐かしいよ。そして、執着が薄れていく自分は、生きる活力が失われていっているように思える。

誰かに執着するって、むちゃくちゃエネルギーがいる。疲れて疲れて仕方がないよ。その一方で、執着って、生命のギラギラとした輝きだとすら思う。そう・・ギラギラ。

そんなふうに自分が誰かにこだわって執着して気にするだなんて、この先、ないような気がするなあ。

誰かに執着するって、それはある意味幸福なんじゃないかな?とすら思う。
たぶん、そう思わせてくれる相手に出会えたほうが、苦しいが喜びもある日々なのかもしれない。
感情が平坦な日々は穏やかだが、大きな喜びとは遠い(そのかわり大きな苦しみも少ない)

そうだな、やはり私はまだ諦めてはいないのだろうね。他者との関係を。こんなにもひとりであって、それでいいと思いながらも。

考える日々

Posted by しがらみん