再び週5日フルタイム労働に戻った精神的な理由
前回の記事では、あれほど週5日フルタイム労働からの卒業を謳っていた私が、再び同じ働き方に戻った経緯について書いた↓
今回は、その選択をした精神的な理由について、具体的に記してみたいと思う。
あえて時間を奪われることで、過去の記憶を遠ざけたかった
前の派遣先を理不尽な理由でクビになってから、このブログで行き場のない感情について、ずっとずっと綴ってきた。
夏頃、もうこれ以上考えないようにして前に進もうと思ったけど、そう簡単には記憶から追い出すことはできなかった。
むしろ働いてないゆえに時間があるのが仇となり、ことあるごとに記憶の渦にハマっては憤ったり悲しんだり落ち込んだりする状態が続いた。
それならいっそフルタイム労働に戻って新しい環境に身を置き、あえて時間を奪われることで過去の記憶を遠ざけるのも悪くないんじゃないか?と考えた。
人によっては、そのまま労働から遠ざかることで傷が癒えていくこともあると思うが、私の場合は、やっぱり上書きするしかないって気持ちがどこかにあったんだよ。
新しい環境、新しい人間関係の中で、過去の記憶を上書きする。それしかないといったような気持ちが。
だから、あえて週5日フルタイム労働に戻ることで、時間的にも精神的にもこれまでのことを考えている余裕がなくなって、今の目の前のことで精一杯になるなら、過去の記憶は自然と遠ざかっていくように思えたんだ。
自分が何をしたかったのか見失った
セミリタイア後の働き方について、以前↓のような記事を書いた。
基本的には、この記事を書いたときと今の気持ちはかわっていない。
ただ、私がずっとやり続けてきてこの先もやっていきたいことについて、以前のように情熱をもって取り組めない自分にふと気づいてしまった。
その一番の理由は、やはり持病の悪化で思うように打ち込めなくなったことが大きいけど、それだけではないことに実はうっすら気づいていた。
でも、その事実から目を背けたかったんだよなあ、自分は。以前は、あんなに夢中で寝食を忘れて没頭できたのに、今の自分はそうではないってこと・・。
情熱は冷めて、気持ちが動かないこと。本当にやりたいことって、忙しくて時間がなくても、無理にでも時間を作ってやるんだよね。だってやりたいんだからね。
でも、無職だった数ヶ月間、時間が腐るほどあったのに、打ち込めなかった。
若い頃、夜「明日はあれをしよう!」と思って眠りにつき、朝起きた瞬間に「今日はこれをやろう!」と思って、やる気に満ちていたけど、今の私にその情熱がないことに気づいちゃった。
「自分がやりたかったことって何だったんだろう?」って見失ってしまったんだよなあ。
だったら、フルタイム労働で時間を潰しながら、また気持ちが再燃するのを待つか、もしくは、まったく別の没頭できる何かを探す・・というのもアリなんじゃないか?と思った。
思い起こせばセミリタイアっぽい漂流生活・・
・あえて時間を奪われることで、過去の記憶を遠ざけたかった
・自分が何をしたかったのか見失った
この2つがフルタイム労働に戻った主な精神的な理由だ。
他にも金銭面での懸念など細かな理由はあるけど、やっぱりフルタイム労働に戻ることで自分の内面、心の風景に変化をつけたいって思ったことが大きい。
この先、また気持ちがどのように変化していくかわからないけど、まあ、私はいつだって仕事を辞められるし、そもそもずっと前からセミリタイアみたいな生活を続けてきたようにも感じている。
いわゆる標準的な日本人のように新卒で入社した会社でずっと働いてきたわけではなく、これまでも働いたり働かなかったりして、ずっと漂流してきたわけだから・・。
だから、セミリタイアしたいと言いつつも、もうすでにセミリタイアに片足つっこんだ生活をずっと続けてきたんじゃないか?って思う瞬間もあるんだよ。