目の前にいる医者を信じたいと思うのに

夏頃の地獄のような状態からは一旦解放され、症状は少しずつ緩和しつつあるが、毎日病気のことばかり考えている。最も危惧していることは、薬が効かなくなっていくことだ。

薬はどんどん強くなっていき、昨年も今年も一番強い薬を使い続けたが、今年の量は昨年よりも格段に増えてしまって、それでも症状は改善しなかった。それどころか悪化する一方だった。気温が下がるのを待つしかなかった。今年は9月も10月も例年に比べ気温が高い日が多く、秋になっても暑い日が続いたため、症状が思うようにおさまっていかなかった。

原因は様々な要因が複雑に絡み合ったものだと推測するのだけど、「気温」は確実に間違いなく理由のひとつだ。それはこの私の身体が明白に物語っている。

ネットで毎日何か病気のヒントがないか、誰かの体験記、ちょっとしたつぶやきに原因を探る糸口はないか・・ほんの些細なことでもいい、調べて調べて調べ続ける日々だ。

もちろん現在かかっている大学病院の先生の診察に耳を傾けるべきだろう。それはよくわかってる。ただ・・どうも私はこの先生を信頼しきれないんだ。

かつて、20年以上前、持病が悪化したときも大学病院で診てもらったが、そのときの先生には心底救われた。症状が改善するかもしれないという希望と、症状の辛さで擦り減った私の心に寄り添ってくれるような診察だった。言葉のひとつひとつを慎重に選びながら発するような先生だった。ちょうどその頃タイミングよく新薬が出たことで劇的に症状は改善した。あのときは偶然の巡り合わせでうまくいった。

ところが、今回の先生はどうも信頼できずにいる。まず問診でこちらが聞きたいことに明確な答え、納得するような答えが返ってこない。患者に寄り添う視線が欠けている。ビジネスライクな匂いを感じる。若い(30前半くらいに見える)ゆえに経験値が少ないのか、こちらの質問に対して「う〜ん」とお茶を濁すことが多い。なんというか定型の中でのみ診察をしているような印象が否めない。

私自身、大学病院に辿り着くまで色々と調べていたので、きっとこの結果がこれなら次はこの検査をやって、それで原因出ないなら次はこれをやって・・というように段階を踏むだろうことは想像できた。だから、それらの検査をスムーズにやれたことはよかった。先生の治療の進め方は間違っていないのだとは思う。

それでも、だ。この先生、何かが足りない。

経験不足だとか知識不足だとか、そういうことじゃない。足りないんだ。人間的な何かが。いや、別に足りなくたっていい。症状を改善に導いてくれるなら、病気の原因になっている事象を示してくれるなら。

なんかなあ、通院のたびにモヤモヤするんだよなあ。どうしてもこの先生を信じられない”何か”がある。目の前にいる先生の言葉に不信感を抱いてしまっている。

ふと、10年以上前に読んだ柳澤桂子さんの著書を思い出した。

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長年原因不明の病に苦しみ、医師から暴言を吐かれたりする。柳澤さんは生命科学者だ。そんな方に対しても医師は平気で心ない言葉を吐く。原因不明な病に対して、精神、心の病気だと決め付けたがる。

私の場合、症状はむちゃくちゃ辛いがそれのみで死に至る病ではないので(精神的に堕ちて死ぬ場合はあるとは思うが・・)ときどき医者の診察には怒りを覚えるときがある。死なねえから適当に薬出して症状改善しなくても、その患者が来なくなったらハイ終わり。患者のほうがそんな医者に不信感を抱いて病院を転々・・みたいな。まさに自分はこのケースで、子供の頃から数多の病院を漂流してきた。

なんかなあ、医者って当たり外れあるなあ。前述した20年以上前に出会った大学病院の先生だけど、のちに開業してね、それでしばらく通ってたんだけども、大学病院時代はあんなに真摯な診察する先生だったのに、開業した途端、2時間待ち2分診療みたいに成り果てたよ・・。

時間や環境もその医者を変えていくんだろうね。医者に限ったことではないけども。

それに、医者には医者の言い分もあるのだろうね。ひとりひとりの患者にじっくり向き合っていたら医療は成り立たないという背景があるのかもしれない。

考える日々

Posted by しがらみん