コロナによる自粛生活の中、蘇ってくるネガティブな記憶に苦しむ

それにしたって、毎日コロナ。

四六時中コロナのことがつきまとい、疲労が増す一方だ。

医療従事者や介護関係、運送、スーパーやドラッグストア、インフラ関係、ゴミ収集など・・生活に欠かせない、休むことのできない職業の人たちは、感染の恐怖に怯えながら、働き続けている。

そういった職業に従事されている方々には、心から感謝している。

だから、緊急事態宣言が発令されてからは、ずっと自宅で過ごしている私なんかが、「疲れた」などと軽々しく吐くことは、憚られる。

そうわかっていても、毎日毎日、疲労が蓄積されていく。なんだかちょっとおかしくなりそうだ。

特に私を悩ませているのは、あまり思い出さなくなっていた過去の「嫌いな人」について、コロナで自宅待機になってからというもの、しばしば考えるようになってしまったことだ。

以前の記事で、「嫌いな人」との自分なりの向き合い方について書いた↓

この記事を書いたのは、約1年前くらい。当時は相当苦しんでいた。眠れないほどに。
無職期間を経て、新しい派遣先で働くようになってから、「嫌いな人」についてあまり考えなくなっていた。新しい仕事や人間関係などについて考えることが増え、過去のことは薄らぎつつあった。

ところが、コロナで自宅待機(ときどきテレワーク)となり、余剰の時間が生まれると、ふとした瞬間に「嫌いな人」の言動や行動などを思い出しては、怒りに震えたりしている自分がいる。

コロナによる先の見えない不安、そして、働いていれば気が紛れるところ、自宅待機という状況で圧倒的に時間があるため、過去の嫌な思い出が掘り起こされるようになってきてしまった。

以前の記事で書いた「嫌いな人」以外にも、子供の頃にさかのぼって、「ああ、あの言葉、嫌だったなあ」「ああいうことされたのショックだったなあ」など、ネガティブな思い出が蘇るようになってきてしまった。過去の選択の後悔などに苛まれるようになってきてしまった。

さらには、もう忘れていた、「そんなことあったっけ?」と思えるような、忘却の彼方だったはずの記憶たちが断片的に蘇ってきて、どうしようもなく私を疲れさせ、落ち込ませる。

おそらく、コロナウイルス感染拡大がなければ、通常の日々を営んでいけていたなら、そういったことを思い出さなかったように思う。

目の前の労働で日々は過ぎていったはずだ。

コロナによる自粛生活は、精神的に私を蝕む。
なんだか、コロナによる先の見えない状況が、潜在的に無意識に眠っていた私の怒りや不安といったネガティブなキーワードを呼び起こしている気がするんだ。

いかん。

コロナ禍において、ネガティブな感情に足を取られないようにしなければ・・。コロナ情報に浸りすぎるのもよくない。

気持ちをうまく切り替えられるようにしたいのだけど、現状、できていない。

考える日々

Posted by しがらみん