大事なものを選びとれ!消費に支配されるな
「消費する」ということについて、これまで少し触れてきたが、もうちょっと詳しく、私の思うところを書いてみようと思う。
これまでの記事も併せて読んで頂けると幸いだ。
消費するアラフォー独女
アラフォーおひとりさま薄給派遣社員のそれほどでもない節約術
なぜひとは消費するのか?
洋服を買う。バッグを買う。小物を買う。海外・国内旅行へ行く。ワンランク上のお店で食事する。趣味の道具を買う。スマホを何台も買う。タブレットも買う。さまざまな家電を買う。楽器を買う。ヨガ教室に通う。カルチャースクールに通う。工場見学に行く・・。
服やバッグなどの「モノ消費」はもちろんだが、旅行や習い事、イベントなど体験を買う「コト消費」もある。
わたくし思うに、消費とは「自分はこんな人間」というイメージを買うという行為と考える。
服は思想そのもの
たとえば、いつも全身コムデギャルソンの服に身を包んだひとを、アナタはどう思うか?
過去の職場にそういったひとがいて、彼女がギャルソン以外の服を着ているのを見たことがなかった。私は彼女に対して、強烈なこだわりと、徹底した美意識があるひとなのかな?という印象を持った。
それは、ギャルソンの持つブランド性が、そう思わせたのである。
川久保玲の凛としたイメージが浮かんできて、ただギャルソンを着ているだけで、只者ではない何か感じてしまう・・そんな風に思った。
いわゆるブランド物のバッグなどは、わかりやすい例だろう。
グッチやヴィトンといったハイブランドのバッグを所有しているというのは、それらを所有するに足る人間だと、示したいからだ。
もちろん、グッチやヴィトンなどの商品が魅力的だから欲しいということもあるとは思う。(草間彌生とコラボしたヴィトンのバッグや、グッチの洋服は美しい。)
でも、それらを所持する庶民の大半は、ステイタスとして持ちたいだけなのじゃないか?
消費は自己プロモーション
スマホだってそうだ。
iPhoneを所有したいと思うのは、iPhoneという商品に、自分自身を格上げするような魅力があるからだ。
最新機種が出るとすぐに買い替えるのは、新しいものを常に所持している自分、流行に敏感な自分を演出したいからなんじゃないか?
かくいう自分も20年来のMac使いであり、最初に購入した自分用のパソコンは、iMacスケルトンのストロベリーである。あの斬新なCMを覚えているか?5色のiMacが滑らかに移動するあの美しすぎるCM。
なぜiMacを選んだのか?
単純にデザインカッコイイ!ほしい!それ持ってる自分イケてるー!という軽薄な思いも少なからずあったと、当時を振り返ると感じる。
(そんな私ではあるが、スマホはアンドロイドだ。Appleへの強い愛を感じながらもスマホはアンドロイド。それには理由がある!機会があったら書くかも)
そう。
消費することで、自分自身をプロモーションする。
自分が何者であるかを、消費することによって肉付けしていく。
消費することで「何者」かになったつもりか?
モノだけでなく、コトもそうだ。
旅行に行ったり、習い事に通ったり、セミナーに参加したり・・すべては、自分はこんなことにお金をかけている人間、お金を費やせる人間、というのを見せる材料になる。
自分自身が心の奥底から考えるのではなく、自分の思想を代弁してくれているようなモノ・コトに乗っかって消費する。
消費は、「何者」でもない誰かを、まるで「何者」であるかのように見せるために必要な行為。私はそう考える。
もちろん、誰かにアピールするためではない、心の奥底から沸き上がってきた情熱によって、消費されるものもある。
習い事などは、その種類によっては、他者に自分を演出するためではなく、自分自身の喜びのためだけのものがあると思う。
自分だけの大切なもののために、他者にとってはまったく価値のないものに価値を見出して消費することは悪くない。むしろ、消費という行為は、そうでなくちゃいけない!とさえ思う。
大事なものを選びとれ!消費に支配されるな
私は、モノを買ったり、お金と引き替えにコトを体験しようとするとき、それが本当に、自分の心の奥底から沸き上がってきた欲望によるものか?と考える。それが、虚栄心やステイタスのために消費したいと思うものだったら、今すぐやめたらいい。
そりゃあ、自分にとって本当に大事なものを見つけるのは難しい。世間一般がいいとするものにすがった方が楽、他者の物差しにかなった自分でいたほうが楽。
でも、日々考え続けていれば、あっという間に気づく。他者にゆだねちゃいけない。他者にとってはどうでもいいけど自分にとっては大事なものを選びとり、守り抜け。
消費に支配されてはいけない。
安っぽい虚栄心のために、無駄金使うなんて阿呆だぜ?
消費する前に立ち止まれ。それが誰のためのものか。いかなる欲望によってそれを欲しいと感じるのか。考えるのだ。
私は、いつもかようなことを考えながら、自分が必要と思うものだけに消費する。たとえそれが他者にとって、まったく不要なものであっても。
ゆえに、私の部屋は、他人にとってどうでもいいもので溢れているのさ。
悪くないだろ?