「使えない人間」なんてこの世に存在しない

2018年7月31日

日常生活でよく耳にする言葉、「あの人って使えない」「あいつ使えねえ」「後輩マジ使えん」「使えない上司!」・・。
そう、仕事ができない人間に対して、発される常套句に「使えない人」というフレーズがあると思う。

まず、大前提として、私は、この「使えない人」という言葉を今まで誰かに対して使ったことは一度もない。
というのも、「使えない人間」などこの世には存在しないからだ。

存在しないのだから、そんな言葉を使う場面などありうるはずもない。

それなのに、どうだろう?
日常的に、この言葉を吐く人たちってあなたの周りにいないだろうか?
私の周りでも、これまで、この「使えない人」「使えないやつ」などといった言葉を、そりゃあもう軽々しく発する人間を、幾度となく見てきた。

でも、ちょっと考えてみてくれ。

「使えない人間」

この言葉を軽々しく発する人たちは、残念ながら、とても大事な大前提を忘れてしまっている。

先にも書いた通り、「使えない人間」などこの世には存在しない、のだ。

それなのに、さもそんな人間がいるかのように、「使えない人」というフレーズを吐いてしまうのは、残念ながら、あまりに浅はかと言わざるをえない。

人間は、「使える」ものでも「使えない」ものでもない。
なぜなら、道具のように、誰かが誰かを使用するなんて、そんなものではないからだ。
そうだ、人間は道具ではない。そもそも、使うものではない。

おそらく、「使えない人間」という言葉を軽々しく吐く人たちは、この前提を忘れている。
人間は、使えたり使えなかったりしない。たとえば、ハサミといった道具のように、錆びて切れなくなって、使えなくなった・・なんてことは決してない。

「使えない」だなんて、誰かが誰かに対して、軽々しく発していい言葉なはずがないんだ。

だから、私は、「この人使えない」と発する人間は、考えない人間だと思う。そして、この言葉を発するからには、ご自身が「使える人間」だと自負しているのだろうと想像するが、果たしてそうだろうか?
(今まで様々な職場を漂流してきて多種多様な人間を見てきたが、この言葉を軽々しく発する人間ほど、利己的で身勝手に仕事を進めるような、お世辞にも”仕事ができる人間”とは言い難かったように思うのだが?ま、あくまで私の出会った人たちは、だ)

そして、この「使えない人間」というフレーズは、昨今話題となっている「生産性がない」というフレーズに接続していく気がするんだ。

つまりは、人間は、社会にとって利益(労働や子どもを産む等)を生み出していないと生きている価値がない、何も生み出さない人間は無価値・貶めてもいい、切り捨ててもいい、ということになってしまいかねない。

人間は、子どもを作らなくても、作れなくても、遺伝子を残さなくても、障害や病気などで働けなくても、様々な事情でなにかを生産できなくても、ただただ、生きているだけでいいという存在なんだ。
あたりまえにそこに存在しているのであって、生産性のある・なしで、そんな次元で、いる・いらないと判断できるような、そんなんじゃないんだ、人間は。

その前提を忘れてしまうから、争いが起こるんだよ。忘れてはいけない。

「使えない人間」って言葉は、おそろしい。考えることをせず、この言葉を日常的に軽々しく使うひとたちがたくさんいることも、おそろしい。

だから、私はこの言葉を心の底から嫌悪する。そして、こんなフレーズが日常的に発されないような世界になっていくことを願う。

考える日々

Posted by しがらみん