この世は両想いしかありえない

2018年5月15日

極論かもしれないけども、この世は、両想いしかありえない。もっと厳密に言うと、”最終的に両想いになる” ということかな。

トモフスキーというミュージシャンの楽曲に「両想い」というタイトルの曲がある。10代後半にかなり聴いていたトモフスキー。

歌詞の一部を引用する。

あの人は僕の事を イヤな奴と思ってるさ
だって僕はあの人を イヤな奴と思ってるからね

誰でもみな両想い
好きなヒトにしか 好かれない
嫌いなヤツにはちゃんと 嫌われてる

これはよくわかる。相手のことを、嫌いだな、苦手だなと感じたとする。すると、その相手も、そんな私の態度に呼応するように、どんどん私に対して冷たくなっていく。

そう、おそらく最初は好きでも嫌いでもなかった相手だったとしても、その相手から拒否・拒絶のオーラなどが感じられるようになると、嫌いになっていく。そして、気づくと、お互い「嫌い」。「嫌い」という感情が一致しているという点で、「両想い」になる。

好感を持っていた相手からなぜか嫌われてしまった

私自身、好感を抱いていて友好的に接していた相手から、あるとき、強烈な拒否反応を感じたことがあった。そのとき、「あれ?自分、このひとから嫌われてるな?」と察した。

理由はよくわからない。ひょっとしたら、自分が気づかないうちに、相手の気に障ることを言ってしまったか?地雷を踏んでしまったか?

しかし、いくら考えても、今までのやりとりを振り返ってみても、理由はわからなかった。ただただ、相手から「嫌い」というメッセージだけは感じた。はっきりと言葉にして言われるわけではないのだが、全身から「あなたのことが嫌い」という拒絶のオーラを放たれたのである。

すると、それまで、好感を持っていた相手に対して、次第に好ましくないように感じるようになっていった。
最終的には、「嫌い」になった。
人間関係において、こういうことって、けっこうあるように思う。

つまりは、嫌いな相手に嫌いだという態度を示していると、最終的には向こうからも嫌われる。

好意を持っている(もしくは好きでも嫌いでもない)相手から、嫌いだという態度を示されると、最終的には、相手を嫌いになる。

感情をおもてに出さないように日頃から努力していても、心の中で思っていることって、ちょとした態度や雰囲気にあらわれてしまうものだ。

誰だって両想い

もちろん、嫌われて結構、上等だぜ!ってくらい嫌いな人間から嫌われてもなんとも思わないが、好意を持っていた相手からなぜか嫌われて、最終的には自分自身も相手を嫌いになってしまうのは、ちょっとした悲しさがある。

ここで、トモフスキーの「両想い」の歌詞をさらに引用する。

あのヒトは僕のことを きっと好きになり始めてる
だって僕はあのヒトを 気にするようになってるからね

誰でもみな両想い
好きなヒトにしか 好かれない
嫌いなヤツにはちゃんと 嫌われてる

相手に好意を持って接していると、相手も自分を好きになってくれる。これもよくわかる。だって、相手の方から好意を持って接してきてくれたら、最初、なんとも思っていなくても、感じがいいな、好感が持てるな、と嬉しくなる。

もちろん、前述したように、こちらが好意を持って接していても、嫌われてしまうこともあるし、相手が好意を持って接してきてくれても、どうしても好きになれないこともあると思う。そして、すれ違った心は、結局、お互いがお互いを「嫌い」という感情に着地する。

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このアルバムに「両想い」が収録されている。自分がよく聴いてたのは「カンチガイの海」というアルバムに収録されていた「両想い」だったのだが、画像が表示されないので、こっちを貼っておく。

トモフスキーは名曲が多いよ。カンチガイの海、タイクツカラ、手抜き返し・・一時期聴きまくってたわ。トモフスキーは、CDジャケットのイラストも自分で描いてて、それもすごく好きだった。なんかね、幻想的な不思議なイラストなんだわ。

とりあえず好意を持って接するほうが最終的には絶対いい

最近の自分は、相手に好意を持って接する、ということがどうも億劫になってきてしまっている。でも、感じよく笑顔で他者と接することができるほうが、最終的には絶対いいと思う。

ふてくされて負のオーラをだして毎日を過ごすのはよくはないな。年をとったのか、いいなと思う相手より、嫌いだったり無関心、興味の持てない相手のほうが圧倒的に増えた。

よくないな。

嫌いな相手には嫌われてよろしい。でも、好感を持った相手にはなるべく嫌われないほうがいい。だとするならば、やはり、とりあえず最初は誰に対しても好意的に接しているほうが、圧倒的にいいだろう。
もちろん、友好的に接していても嫌われてしまうことはある。それは致し方ない。

プラスの感情が一致した「両想い」がいい

好きな相手に好かれる確率をあげるためにも、他者と感じよく接することができるほうがいい。
「いつも自然な笑顔で誰にでも感じのいい人」といったような人物にときどき出会うが、すごいとしか言いようがない。コミュ力高いなーと思う。

私は、人付き合いが苦手でコミュ力が低い。だから、他者と接するとき、無駄にエネルギーを消費して疲弊することが多いので、「いつも笑顔で感じよく・・」というのはなかなかハードルが高いが・・。

とにもかくにも、「両想い」なら、プラスの意味での両想いを増やしたいものだ。そして、どうしても嫌いなら、無理矢理好きにならずともいい。嫌いという部分で両想いになることも決して悪くはないと思うんだ。
全方位で好かれる人もいなければ、全方位で嫌われる人もいないんじゃないかな。

そして、理由もわからず嫌われたのだとしたら、放っておけばいいよ。
「なぜ嫌われたのだろう?」とかなり落ち込むこともある。でも、考えても考えても理由がわからない場合は、もう相性が悪かったと諦めるしかない。嫌いだと示してくる相手をわざわざ好きになる必要などまったくない。時間の無駄。
プラスの「両想い」を増やすことに注力したほうが、よっぽどいいと思うんだ。

考える日々

Posted by しがらみん