もっと違う選択、違う答えを見せてほしかったんだよ

以前ときどき読んでいた40代女性のブログ、数年更新がとまったままだった。

久しぶりにのぞいてみると、なんと更新されていた。ブロガーご本人に随分変化があったようだ。

結婚相談所で婚活し、パートナーと出会い結婚する予定だという。

それを知ったとき、少し驚いたと同時に、「やっぱりな・・」という気がしないでもなかった。あと、ガッカリというか・・残念に思う気持ちがあった。

こんなことを書いてしまうと・・、他者の幸福を祝えないなんて、喜べないだなんて、最低な人間。どうせ嫉妬しているんでしょう?なとどいう言葉を投げかけられることは想像できる。

それでも私は、「ガッカリした」「残念だ」「そうじゃないのになあ・・」と思ってしまった。

いや、これを読んでる人はなんのこっちゃという感じで、さっぱり意味がわからないと思うのだけど、それでも書こうかな。

私としては、ブロガー(Aさんとする)の選択は少し危険なのではないかと感じた。

精神疾患を抱えた女性が"理解ある彼くん"と出会い、自己肯定感の低い自分をありのまま認めてもらい救われる。そんな"理解ある彼くん"と結婚することによって、経済的にも精神的にも安定しセーフティネットができる。めでたしめでたしという物語。

なんというかAさんの選択が上記に該当するパターンのように思えたからだ。

女性が苦しい中でもがきながら、それでも自分なりの光を探して進もうと模索するとき、その結末が「理解ある男性によって経済的にも精神的にも救われる」物語は、あまりにも残酷だ。

つまり・・経済的・精神的に安定しない女性が苦境から抜け出すには、男性と結婚してセーフティネットを作ることが一番の近道である、という現実をまざまざと見せつけられるからだ。

どうしようもなく悲しい。

もちろん、私はAさんが幸せならそれでいい。誰もAさんの選択をとやかく言うことはできない。ただ、ひたすら残念だ。

聡明なAさんが出した答えが、”最後のチャンスと思って結婚相談所で婚活して結婚する” という選択だったということ。私としては、もっと違う答え、選択を見せてほしかった。

たぶん期待してたんだと思う。AさんならAさん独自の幸福になるための選択を見せてくれるんじゃないか、と。それくらいAさんって深く思索できる人だって文章(ブログ)を読んで感じていたから。

ただ、残念だと思うと同時に、その選択を理解することもできる。経済的に苦しい状況で精神のバランスも取れない中、結婚によって経済的な基盤を作り安定したい、という結論にたどり着いても何ら不思議ではない。

結婚によってAさんの精神が少しでも安定し、経済的な悩みも解消され幸せに暮らせるのだとしたら、それでいいはずだ。

それでも。

もし。もし?と考えてしまう。

もしAさんが目覚めていたら。構造の中で女性が貧困になっていく様相をフェミニズムの視点から読み解く術を持っていたら、その選択はしなかったのではないだろうか。

(いや?目覚めていてもなお、男性に承認してもらうことでしか逃げ道がなかったのだとするなら、それこそ地獄だ・・)

他者が誰かの最善と思った選択をあれこれ言うことはできない。わかってる。

それでも・・。

ふと、数年前に目にしたある新聞記事を思い出した。

研究で凄まじい成果を上げるも、研究者としての就職口がなく、自らの将来を憂い安定を求め40代で結婚した女性。彼女の結婚生活は破綻し、最終的には自ら命を絶ってしまう。

とても悲しく痛ましく、たくさんの社会問題を孕んだ内容だ。労働問題、氷河期世代、経済的に苦しい高学歴研究者、文系軽視問題、女性問題・・。この女性研究者のことを、私はたびたび思い出す。

つまり、経済的に追い詰められたとき、女性は”結婚”というセーフティネットを選択しようとする。しかし、フェミニズムを知って覚醒した者からすると、結婚は女性の尊厳を奪う制度だ。と同時に男性の所有物となった女性にはそれなりの待遇を用意しましょう、といった制度でもある。だからこそ、したたかな女性はこの制度を上手に利用する。でも?うまくセーフティネットとして機能しているときはまだいい。少しずつ歯車がズレてきて修正がきかなくなったとき、結婚制度は女性を殺すことすらある。

個人的な問題として片付けられる選択の背後には、かならず社会的な力が動いている。なぜAさんは最後のチャンスと思って、わざわざ結婚相談所を使ってまで結婚しようと思ったのか?

女性がひとりで安心安全に生きられないように設計されている社会構造。結婚することが幸せで正しいという絶え間ない刷り込み。

最終的には構造の問題に辿り着く。個人の選択だと思ったものが実は選ばされてきたと気づいたときの衝撃。私自身、これまでの自分の過去のいくつもの選択を振り返って、主体的に選んできたと思い込んでいたのに実は選ばされていた・・ということがたくさんある。

そして今の自分も、ようやくそれらの刷り込みに気づいても、完全には断ち切れていない。まだ解けない鎖がグルグル巻きついている。未だに気づけていないこともたくさんあるだろう。

世間の言う”正しさ”ってやつからなかなか自由になれない自分がいる。だからこそ、”正しい選択”以外の選択を見せてくれるんじゃないかと密かに期待していたブロガーAさんが、結局は”正しさ”の中に収斂していくことが、う〜ん、的確な言葉が思いつかないのだけど、”悔しかった”んだよ。

あ、でも、おそらく、Aさんはずっと”正しい”人になりたくて、なれなくて、なろうとするのをやめて、ならない選択肢を模索したが、やっぱり正しくなりたくて、なることにした人、なんだと思う。
とするなら、Aさんを救うのはフェミニズムではなく・・結婚で正解だった、ということになるのかもしれない。

なんのこっちゃ意味わからない長文になってしまった。今の気持ちを何となく記しておきたかっただけだよ。

考える日々,フェミニズム

Posted by しがらみん