言い換えた途端、世界が広がっていく
わたくしは、しがらみん。アラフォー漂流おひとりさま派遣社員だ。
前回の記事『私たちはいつだって、わかりあえやしないってことだけをわかりあう』で、いくら同じ世代・階層・スペック等であっても、わかりあえるわけではない・価値観が近いわけでもない、ということについて書いた。
これは、逆に考えると、どんな世代・階層・スペックであっても、わかりあえる可能性がある、と言い換えることもできる。
うむ。言い換えた途端、世界が広がっていくのを感じる。
ついつい、分断して考える。また、同じ階層だからわかり合えると思い込みがちだが、最終的には、個人それぞれの有り様だよな。
私の悪い癖としては、この人はこれこれこういうバックグラウンドらしいからこうだろ?みたいなことを、わりと考えてしまうところだ。
思い込み、勝手に決めつけてしまう傾向が若干あるかもしれない。やはりちゃんと相手そのものと向き合わなけりゃならんなあ。
だから、前回の記事『私たちはいつだって、わかりあえやしないってことだけをわかりあう』で、
やはり派遣社員として同じ派遣先で勤続15年ほど働き続けている彼女たちと、様々な雇用形態で様々な職場を転々とし続けている私のような人間とでは、わかりあえるはずもなかったんだろう。
↑このように書いたが、ちょっと違うかもしれない。
彼女たちとの労働に対するあり方が違うからわかりあえないのではなく、どんな道を辿ってきたかとはまた別の問題で、彼女たちと私とでは、考え方や価値観などで近しい部分がなかった、ということだ。
危ないところだった。本質を見誤るところだった。そうじゃない。
辿ってきた道ではない。”今そこにいるその人”と、”私”が共振するのか?というところが大事なんだった。
なんだかわかりづらいが、私の思考の変遷の備忘録でもあるので、このブログは。
常に思考は流れるものだ。かわっていくものだ。留まらないものだ。いつもそれを肝に銘じて考え続ける。