誰かが不幸になると私も不幸になる
コロナで世の中が疲弊していく中で、きっとこれから大恐慌時代に突入するんだろうなっていう予感がある。
ワクチンが開発され、コロナが終息するならば、また人々は外へ出て、わざわざGo To キャンペーンなど実施せずとも、お金を使うだろう。経済を回しに回すだろう。
景気は回復するだろう。
でも・・それって何年後だろう?
この調子でいけば、東京オリンピック開催は絶望的だ。コロナはさらに感染拡大し、高齢者や基礎疾患がある人々を死に至らしめるだろう。
医療現場は逼迫し、救われるはずだったコロナ以外の病気の患者の命も救われないかもしれない。
たくさんの失業者で溢れ返り、ますますこの国は貧しくなっていく。
そうだ、人々は不幸になっていく。不幸な人々が量産されていく。
そうすると、世の中がさらに疲弊して病んで、真っ暗くなる。
それが続くと、不幸ではなかった人が不幸になる。悪循環の輪の中で、不幸ではなかった人が不幸になっていく。
不幸な人が増えれば増えるほど、私も不幸に近づいていく。不幸な人で覆い尽くされていくならば、私もやがて不幸の波にのまれる。
だから、誰かが不幸になろうとしているのを、見過ごしちゃいけない。見殺しにしちゃいけない。
少なくとも、派遣切りや雇い止めにあったり、リストラされたり、廃業せざるをえなくなったり、様々な理由からコロナで苦境に陥った人たちを、自己責任で断罪してはいけない。そして、命に優劣をつけてはいけない。
だって、彼らを見捨てることは切り捨てることは、きっとめぐりめぐって、あなたを不幸にするのだから。
今は、安全な場所にいてホっと胸を撫でおろしていたとして、あなただって、いつどんな種類の厄災に見舞われるか、わからないでしょう?
「だって、しょうがないじゃん、自己責任じゃん」この言葉を、あなたが言われる日がくるかもしれないんだよ?
自分の落ち度でもなく、ただ不幸な偶然が重なった結果だったとしても。
今の日本って自己責任の国だ。
たとえコロナが不幸へのきっかけだったとしても、ほんの少しの落ち度を探して、少なからず自己責任で断罪してくる人々は存在する。
もう、そういうのやめにしないか?
不幸な人たちが増えれば増えるほど、さらに連鎖して不幸な人たちは増えていくんだ。
だから、逆にいえば、幸福な人が増えれば増えるほど、最終的に私も幸福になる。