【40代後半】他者との関係を諦めた
40代後半に突入して気づいたことがある。
人間関係にまつわる孤独感を抱くことが少なくなった、ということだ。
不思議なことに、以前なら度々襲われた人間関係由来の孤独感をここ数年抱くことが少なくなった。
過去には、他者との関係を諦めたくない、とか、誰かと親しくなりたい、といった趣旨の記事を書いている。
これらのどれもが5年〜7年前くらいの記事だ。読み返すのが怖いくらいだ。
今の自分は40代後半になって、そういった感情がほぼなくなったように思う。
どうしてだろう?ってのを自分なりに考えてみた。
持病の悪化で他者との関係について考える余裕がなくなった
おそらく大きな理由としては、ここ数年の持病の悪化がある。このままどんどん悪くなっていったら、もうダメかもしれないと思った。
そんな状況下で、他者との関係について考えたり、孤独を感じたりする余裕がなくなった。
孤独とは違ったもっと別の種類の絶望的な気持ちのほうが大きくて、他者との人間関係なんてどうでもよくなっていった。
今、かなり病状は安定している。それだけで十分だと思う。これ以上何を望む?と考えてしまう。
年齢を重ねて、他者との関係を諦めた
まだ40前後の頃は、他者との関係を諦めたくないと考えていた。
深く理解しあえなくてもいいから、ちょっとしたことを話せるような友人手前くらいの関係性でもいい、そんな相手がいたらいいと思っていた。
でも、40代後半になった今、人間関係で思うことはただひとつだ。
もう他者と極力関わりたくない。それだけだ。
一番いいのは、誰かと関わることで自身も相手も幸福になるような関係を築けること。それがベストだ。でも、これまでの自分を振り返って、自分の性格上それは難問だったとようやく悟った。やっと。50年近くかかった。
ベストが無理ならベターでいい。
私にとってのベターは、人と極力関わらないことで平穏でいられること。
他者との関係性の中で生まれる大きな喜びを得ることはできないが、かわりに深い悲しみや苦痛も発生せず、ひたすら凪のような心でいられる。
過去の自分は、他者と関わることを避けるのは自己欺瞞だと感じたりもした。本心では誰かと親しくなりたい、深く関わりたいと思っているのに、傷つくことを恐れて行動しない自分は間違っているのではないか?と常に考えてきた。
でも、50歳が近い年齢になって思うのは、結局「他者と極力関わりたくない」ってことなんだ。
はたからみれば、かなり寂しく悲しい心情のように映るかもしれない。
それでも、他者と関わって疲弊し続けるより、他者との関わりを極力減らして自分なりの心の安定を得られるほうがいいと感じている。
世の中の大半の人たちにとって当たり前のようにできることが、私にはできなかった。他者と関わることで得られる喜びよりも、他者と関わることによって生じる疲労のほうがどうしたって大きい。
とするなら、私は私なりの心の安定・平穏を探していくことにした。人間関係の充実という部分ではスカスカの人生になったが、それ以外のところに幸福を見出し、静かに生きていきたいと思っている。
変わっていく心・矛盾する心
ブログを書いていると、自分の心の変遷がわかってちょっと面白い。
40代後半の今、上記のような理由で他者との関係を諦めたとして、50代、60代の自分はどうなっているか想像もつかない。
やっぱり他者との関係を諦めたくない!!!って思っているかもしれない。性懲りも無く、悪あがきしているかもしれない。
それと、ブログを書いてて思うのは、けっこう自分の心情って矛盾しているときがある。でも、そのときどきの気持ちを書いているとそうなってしまう。
矛盾のない人間などいないから。
私の場合、ブログで考えていることを吐き出して、それを誰かが読んでくれているかも?と思えるような、そういった細い糸のような繋がりでそこそこ満たされる。
それくらいが私にはちょうどいい。
他者との関係を諦めたら、すごく心が楽になった。
人間関係が希薄で寂しいと思うことも少なくなった。
好きな音楽を聴けること、美味しい食べ物を食べられること、好きな本を読めること、行ってみたい場所へ行けること・・そういったことだけで、今の私は十分満たされている。
40代後半の今は、そういった心持ちだ。


























