美しいものだけを見て生きていたいなどと思ってしまう
時折思ってしまう。
いや?今年は、これまでの日々の中で一等そう感じた。
もう・・美しいものだけを見て生きていきたい、と。
うんざりだった。ネット上の誰かの心ない言葉や、どうしたらそういった思想に辿り着いてしまうのか、到底理解できない。そう。もう分かり合えない。日頃から『分かり合えやしないってことだけを分かり合う』と考えている自分ですら、もう無理だと思った。
そういった言葉や思想に触れ続けていると、何かが自分の中で崩れていく音が聞こえるような気がした。知らない誰かの言葉に無意識に支配され、追い詰められ傷ついている自分がいる。
今年は特に、無職で時間がありすぎたせいもあって、ついついネットで市井の人々から著名人まで様々な立場の人たちの言葉を読むことが多かったが、賛同や敬意や同調の裏側では、それを上回るほどの、理解しがたい言葉が吐き続けられている。
本当にうんざりだった。
それで、もう美しいものだけをみて生きていきたいなどと、思ってしまったりもしている。
ある有名な音楽家の話だが、彼は、政治や経済・社会などには無関心で新聞も読まず、ただひたすら自分の音楽の世界を深めることだけに没頭している、というのをもうずっと前に知ったとき、非常にがっかりしたのを覚えている。
確かに美しい世界を紡ぐことは芸術の側面のひとつなのだけど、そこに”今”がなくてよいのか?と。政治や経済や社会に無関心でいられはしないと。私は当時そう感じた。彼の音楽がすばらしかっただけに、心底がっかりした。
芸術は政治的に偏ってはいけない。それらを超越したところで咲くべきだと。でも、無関心でいては絶対にいけないと私はずっと感じてきた。
それなのに、そんな風に考えてきた自分なのに、正直今は、あらゆる言葉を遮断して、ただただ美しいものだけに囲まれてその海で耽溺したいとすら思ってしまう。
疲れてしまった。あまりの情報過多に、私は疲れてしまった。うんざりした。ネガティブな言葉が常に心の底に淀むようになってしまった1年だった気がする。
ただただ美しいものや圧倒的なものに心動かされて、こうしてはいられないと感じられた、かつての躍動が鼓動が、今まったくないじゃない。
そんな自分に失望する。美しいものだけに逃げ込もうとするだなんて。でも、そうしないと立っていられなくなるだろう実感がある。
この国の未来を考えたとき鬱々とした気持ちにしかならない。うっかり目を背けたくなる。美しいものだけをみたいなとど考えてしまっている。
どうやってこの感情と折り合いをつけて、それでもこの世界で自分なりに幸せに生きていく術を見つければいいのか。そんなことをずっとずっと考えていた1年だったと思う。振り返ってみて。