稼げる人間こそ善か?
わたくしは、しがらみん。アラフォー漂流おひとりさまだ。
さて、前回の記事で、非正規労働者の視点から真のホワイト企業ってなんだろう?ってことについて書いた↓
その続きというか、補足を書いてみたいと思う。
階層や固定化されつつある身分を越えた先で、幸福になる
私は、今後また派遣で働くかもしれないとして、派遣っていう働き方・派遣会社という仕組みには、疑問を感じたままだと思う。
残念ながら、たいしたスキルもないレールを外れまくった中年の独女である自分なので、この先、派遣などの非正規しか選択肢はないと感じている。
だから、疑問を感じたまま、私はまた働くことになるだろうと思う。
その一方で、非正規という働き方に自分なりに折り合いをつけて、低収入でも労働以外の時間を充実させて暮らしていきたい、と考えている。
以前も書いたけど、私は、階層や固定化されつつある身分を越えた先のその先で、”幸福”になりたいと思う。
以前の記事で詳しく書いてるので、併せて読んで頂けると幸いだ。
稼げない人間は、世界が変わるのを待っていても仕方がない
そうだな・・
攻殻機動隊じゃないけど、世の中に不満があるなら自分を変えろ!ってことになるのかもしれない。
なかなか世界は変わらない。
そうだ世界は変わらない。富めるものだけがひたすら富み続けるのだ。
稼げる人間=善(価値がある)という考え方は、蔓延している。
(実際、経済活動という点では、稼げる人間=善、ということになるのだろう)
そうではない人間(稼げない人間)は、世界が変わるのを待っていても仕方がない。
稼げない人間なりに、生き長らえる術を見つけ出す・・。
それしか現状を変える方法はないような気がする。
(もちろん、格差が是正された健全な社会になることが一番だが、それっていつになる?)
私自身は「稼げる=善」「稼げない=悪」とは考えない。
お金を稼いでいるか否かは、その人を判断するのにわかりやすい材料・指標だとは思うが、人間とは当然それだけでははかりきれないものだ。
(まあ、”稼げない人間”の私が言っても説得力ないと思うが・・)
呪縛から自由になりきれていない
それにしたって、自分で自分を縛っていることに気づいて、ハッとする。
いつでも不自由にしているのは、私自身だなと思う。
「こうであるべきだ」という呪縛から自由になりきれていない自分がいる。
そうだ。
私はまだまだ”世間一般の常識”とやらに無意識に縛られているようだ。
ちょっと見回してみると、そんなものさっさと取り払って、まったく別の境地へ軽やかに辿り着いて、心豊かに暮らしている人たちはたくさんいる。
自分は、まだまだそうなれてはいない。