新しい家族・阿佐ヶ谷姉妹がみせてくれる40代・独身の生き方

わたくしは、しがらみん。アラフォー漂流おひとりさま派遣社員だ。

さて、先日、ネットニュースにて阿佐ヶ谷姉妹の記事を読んだ。

すごくいいなって、思った。
阿佐ヶ谷姉妹が実の姉妹ではなく、狭い部屋で一緒に暮らしているのは、以前テレビで観たことがあって知っていた。
この記事によると、現在はお隣同士で住んでいるようだ。

つくづく家族とは血縁ではないと感じる。阿佐ヶ谷姉妹のお二人のように、夫婦でもなく、実の姉妹でもなく、血は繋がっていないけども、生活を共にしお互いを必要とする関係性ってすごいなって思う。
彼女たちは、たぶん「友だち」ではない。といっても、パートナーとも違うようだ。おそらくレズビアンでもなさそうだ。
となると、しっくりくるのは「家族」ってことなのかもしれない。
すごいな、そういう関係性を、法律によるところなく、他者と築けるというのは。

すべての既婚者・結婚したことのある人たちをすごいなと思うのは、一緒に生きたい・歩んでいきたいという相手に出会えた、という点だ。
離婚してしまった人たちもいると思うが、過去にそういう相手がいたということ自体がすごい。

私は、これまで他者とそのような関係を築くことはできなかった。自分以外の、自分が生まれ育った家族以外の、まったくの「他者」と、一緒に生きていきたいといったような覚悟を決めたことなど一度もないし、そのような相手に出会ったことすらない。
だから、心底すごいと思う。

阿佐ヶ谷姉妹のお二人は、いわゆる「結婚」はしていないけども、共に生きる相手を見つけて、お互いの心地よい距離感で暮らしているというのが、自然な雰囲気で、とてもいいなと感じた。

↓エッセイも発売されたらしい。読んでみたい!

相手が同性でも異性でも、誰かときちんと向き合って、一緒に生きたいと思うような、そんな相手に出会えている人たちは、すごい。

出会えない自分は、どこかおかしいのではないか?とずっとずっと考えてきたし、今もずっとそのように感じてる。
私は、自分自身を不全で欠陥だとわかっているけども、そんな自分でも誰かに出会いたいと、心の底から願ってきた。
でも、今日までそれは叶わなかった。

それで、糸がどこにも繋がっていない、ということは、あるのかもしれないな、と。
巡り合わせって言葉が納得できる。そう、すべては運と縁と巡り合わせだと思える。
もちろん、人間的に魅力がないからひとりなんだと言われてしまえばそれまでだし、実際そうなのだと思うけど、それに加えて、運と縁と巡り合わせに見放されてんだろうなあ。

あとさらに加えて、以前の記事でも書いたけど、圧倒的に努力不足なんだろうなあ、人間関係を築くにあたって。マイナス要因だらけだな・・。あかん。

ともあれ、阿佐ヶ谷姉妹のように、結婚や血縁とはまた別の共同体を築けているのは、すばらしいなと。

昨今は、いわゆる夫婦や家族といったかたちとは別の共同体が多く生まれていると思う。シェアハウスなどがそれにあたるのかな。一口にシェアハウスといっても様々なかたちがあって、興味深い。

といいながらも、自分は大雑把なくせに、ある部分においてはとても神経質なところがあるので、シェアハウスは無理だと思う。どちらかというと、完全にひとりで住みたいほうだ。近所の別の建物に知り合いがぽつぽつ住んでいて、一週間に1回ほど数人に会って世間話しながらお茶を飲んで生存確認する、くらいがちょうどいいかなと思う。

どうも他者と濃く交流したくないのかもしれない。よくわからない。一緒に生きていきたいと思えるほどの相手と出会いたいと思いながらも、やっぱりある程度距離を保ってそこそこの付き合いでいいやと感じたりする。

わからんなあ。
まあ、そんなんだから、ずっとひとりなんだろうけど。なんだかんだいって、私は人間が苦手なんだろうな。理解したいわかりあいたいと願いながらも、実は苦手で苦手で仕方がないのかもしれない。
いつも最終的にひとりになると、ホっとするんだよなあ。

生き方・働き方,40代

Posted by しがらみん