中学の同窓会のお知らせがきた・私は同窓会に行かない人生
わたくしは、しがらみん。アラフォー漂流おひとりさま派遣社員だ。
さて、先日、中学の同窓会のお知らせのハガキが届いた。
学年全体の大規模なもののようだ。私は今年で40歳になる。40歳の節目の同窓会ということらしい。
そういえば、30歳のときも、同じような同窓会のお知らせがあったと思い出した。もちろん行かなかった。当然、今回も行かない。
同窓会に行かない人生
思い返せば、これまでの人生、同窓会というものに行ったことが一度もない。
特に、中学時代の同級生とは、誰ともつながっておらず、誰一人として近況を知らない。ひょっとしたら亡くなっている人などもいるかもしれないが、情報がまったく入ってこないゆえ、何もわからないままだ。
そして、何もわからないままが最高だとすら思う。
会って話すことも特にはないだろう。
中学時代、あの人は面白かったな、変わってたな、今どうしているのだろう?と思うような人はいたけども、たぶんそういう人たちは同窓会には来ない種類の人だろうと想像する。
誰が同窓会に出席する?
一体、どのような人たちが同窓会に出席するのだろうか?
やはり順風満帆に日々を歩んでこれた人たちの集う場なのかな?という気はする。おそらく、現在の自分にそれなりに満足している人たちが集う場所なのだろう。
自分の学生時代を振り返るに、高校時代が一番楽しかったように思う。個性的で面白い人たちが多かった。
当時、仲のよかった数人の同級生とは、年を重ねるにつれ次第に疎遠になっていき、現在では年賀状や手紙のやりとり程度になってしまった。
なかなか気軽に会うような相手ではなく、もうお互いのことをよくはわからない関係性になってしまったように思う。
高校時代の同級生なら、会ってみたいと思うひとがけっこういるが、現在の「こんな自分」をさらけ出す勇気がまったくないので、同窓会があっても行かないだろう。
大学時代は私にとってなかなかの黒歴史っぷりだった。当時、わりと親しくしていた極少数の人たちとは、すっかり縁が切れてしまった。私以外の人たちは、おそらくまっとうな人生を歩んでいるだろう人たちだ。
そうだな、ちゃんとした会社に就職してしかるべきときに結婚し、しかるべきときに子供を産んだような・・そんな人生の人たちだ。
30代前半くらいで、彼女たちとも縁が切れてしまった。現在、自分がアラフォー・独身・非正規という、なかなかの三重苦な日々であるので、気後れして、とてもじゃないが会えたもんじゃないという気持ちが少なからずある。
私自身が、現状の自分に堂々と胸を張れないんだよなあ。こんな自分を説明することなんかできやしない。
残念ながら、お互いの立場や所属する階層を越えてまで分かり合えるような関係性ではなくなってしまった。もうそれを埋められないくらいの時間が流れてしまったんだ。
まあ、言い換えるならば、彼女たちとはその程度の関係性でしかなかった。きっと当時から薄かったのだと思う。
これからも同窓会に出席しない人生
まあ、そういうことで、私は現状の自分に満足できていないし、堂々と胸を張れないし、きっと輝かしい人たちの中で、情けない気持ちになるだろうことは目に見えているので、同窓会というものに、今後も出席することはないだろう。
同窓会に躊躇なく出席できるような人生、うむ、それは輝かしいものだ。
彼らは、これまでの日々をある程度肯定できて、現状に満足できている人たちだ。よきことだ。
でも、その一方で、そうじゃない人生、同窓会にはもれなく欠席する人生もなかなか悪くはないと思うことにする。するっきゃない。
同窓会には、過去しかないんだ。私は、今と未来だけをみることにする。
知らないままでいい。かつて知っていた彼らの現在を、あえて知らなくていい。私は私で、アラフォーにしてまだまだ悪足掻きしながら、それなりにやっておる。
堂々と胸を張れないものの、ああでもない・こうでもない言いながら、まあまあ楽しくやっておる。
幸せな日々を送ってきたんだなと分かる肩書やスペック(立派な職業に就いている、結婚して子どもがいるなど)は何ひとつとして持っていないが、まあまあ今の自分が嫌いじゃない。
まだまだ満足しきれないが、決して私は私のこれまでを全否定しない。もちろん後悔などたくさんありつつも。
うむ、学生時代の同級生たちは思い出のままで、これからも、ずっとそのままで、思い出の中だけで、いいと思うんだ。
あれこれ想像だけして、彼らの現在なんか知らなくったってまったく構わないのさ。