悩ましき年賀状・この先会いたいか?会うことがあるのか?って考える

2018年12月9日

わたくしは、しがらみん。アラフォーおひとりさま薄給派遣社員だ。

さて、12月に入り、そろそろ年賀状のことがチラつきはじめる・・。
毎年のことだが、悩ましき年賀状だ。

LINEやメールで新年の挨拶を済ませ、年賀状自体を出さない、という人たちもかなり増えているのかな?という気がする。

年を重ねるにつれ、出す枚数が減っていく

私はというと、年賀状は、枚数が減っていく一方ながら、毎年出している。
わりと手紙やハガキを書くのが好きな性分なので、毎年、自分で絵を描いて自宅で印刷している。

自分から出さなくなったり、向こうからこなくなったり・・という感じで、おそらく今年出すのは10枚ほどというわずかな枚数になりそうだ。

東日本大震災のあった年に、それまで惰性で年賀状を出していた人たちについて、「この先、このひとたちに会うかな?私はこのひとたちに会いたいかな?」と自問したところ、”さほど会いたいわけではないし、会うこともないだろう”という思いに至った。

「この先、会わないだろう。会いたいと感じない」と思う相手には、もう年賀状を出すことをやめた。来たものにも返事を書かなかった。
すると、次の年には、もう向こうからも年賀状は届かなくなり、交流は途絶えた。
それでいいって思う。
そんな感じで、どんどん枚数が減り続けている。

年賀状の今後・・

さて、先にも書いた通り、2019年の年賀状は10枚ほどになりそうだが、けっこう悩んでいる。
その中には、高校の同級生が数名含まれている。
そのうちの1名とは、数年に1回会う程度のゆる〜い交流が続いているが、他の同級生とは、もうかなりの年月会っていない。
会って話がしたいか?というと、そうでもない。
出会ったのが高校時代の何者でもない季節だったからこそ、いろいろ話せたのであって、おそらく今、初対面で出会ったとして、親しくはならないだろうという人たちなんだよなあ。

もう年賀状出さなくていいか?と思ったりする。

大学時代のひとたちとは、もうすっかり縁が切れてしまったが、高校のときの同級生とは、細く切れそうな糸であっても、まだ繋がっていたいと思わなくもない。
その一方で、もう会いたいと思わないなら、繋がっている必要もないよなあ?と感じたりする。
相手も筆まめな人たちなんで、こちらからやめないかぎり、年賀状のやりとりは続いてしまう気がする。

悩ましいな・・。

また、職場などで新しく出会った人たちとは、住所のやりとりまでするのは稀なので、新たに年賀状を出すリストに加わる人って、ほぼいない。
減っていく一方だよなあ、年賀状って。

毎年のことながら、年賀状のたびに、悩むわなあ。

年賀状のやりとりを続けているなら、”友達”なのか?

ちなみに、私は以前から「友達がいない」と書いているけれど、人によっては、年賀状のやりとりを続けているなら会ってなくても友達じゃないのか?と感じる場合もあるかもしれない。

広義では友だちなのかもしれないと思うけど、なんというか私の感覚でいうと「かつての友達」といったニュアンスで、現在進行形の「友達」とは違う気がする。
現在進行形の”友人”はいるのかと考えたときに「いない」と思う。そんな感じかな。

まあ、人によって友達の定義は異なると思う。

とにかく年賀状は毎年悩むなあ。いっそ年賀状を出すこと自体をやめたら楽かもしれないけども、今のところ、出し続けようとは思ってる・・。

しがらみの人間関係

Posted by しがらみん