誰かを「友達いない認定」して貶める人たちの心の裡
たとえば、誰かを貶めるときによく使われるフレーズって、いろいろあると思う。
身体的な特徴で相手の悪口を言うひともいるだろうし、八方美人だとか性格的な特徴で陰口を叩く人もいる。
そのうちのひとつに「あのひとって友達いなさそう」「絶対友だちいないよねえ」「友達とかいないんだろうな」といったような、友達いない認定して相手を貶める、というパターンがあるような気がする。
・友達がいる=コミュニケーション能力が高く、誰かに必要とされている・認められている人間
・友達がいない=コミュニケーション能力が低く、誰にも必要とされていない・認められていない人間
おそらく、世間に蔓延するこういった考えから、誰かを貶める際に「友達いなそう」というフレーズは使われるのだろう。
まず、大前提として、私は、上記のような文言で、誰かを貶めることをしたことがない。
なぜなら、自分自身が、友達がいないからだ。
↑こちらの記事でも書いたが、何度でも言おう。私には友達がいない。
であるので、陰口のみならず、もし誰かから直接「しがらみんさんってぇ〜、友達いなそう〜」と揶揄されたとして、「ああ、わかっちゃいました?そうなんですよ、友達いませんよ?」という感じだ。「それが何か?」といった風情で。
まあ、今のところ、直接言われたことはないが、陰口としてはけっこう叩かれたことがあるのではないかと想像する。
では、「友達がいなさそう」といったような文言で相手を貶める人たちは、なぜ、そのフレーズをわざわざ選ぶのだろう?
それは、彼らにとって「友だちがいる」ということは、自身の存在価値を確かめるために必要な材料だからじゃないかな?
友達がいるってことは、人間的に優れている・日々が充実してるってことの証なのかもしれない。だから、友人がいない人間は、欠陥だ・不全だ、寂しい人間だとレッテルを貼って貶めたいのじゃないかな(まあ、レッテルではなく、実際その通りかもしれんけど。私は自分自身を欠陥で不全だと思っているし)
でも、なぜ友達のいない人間を、わざわざ貶めなけりゃならんのだろう?否定しなけりゃならんのだろう?
放っておけばいいのに。友達がいなそうな人間のことをわざわざあげつらって、攻撃する必要あるかあ?
それって、つまりは、彼らは、本当は恐れているからだ。友達がいなくて孤独な状況を。自分自身が「友達がいない認定」されることを。そして、友達がいないだろう人間を指差しては、「自分はそうじゃない。ちゃんと友達がいる。価値のある人間だ」と、ホッと胸を撫で下ろしたいんだろう?
おそらく、彼らは、孤独を受け入れる勇気も覚悟もない、他者に寄ってしか立てない人間なんだ。だから、誰かを「友達がいなそう」と貶めることによって、自分は価値のある人間だと思い込みたいだけなんだろうなあ。
「あのひとって、友達いないんだろうなあ」なんつって、そういう言葉で相手を傷つけようとしながら、本当は自分自身を守ってんだろ?
おそらく友人関係をきちんと築けていて満たされている人ならば、そんな言葉で誰かを貶めたりなどしないように思うのだがなあ。
私は、こういった人物には対しては羨ましいと思う。なぜなら、かような人は、信頼できる友人がいて、自律したひとりの人間としてきちんと立っていると思えるからだ。
でも、「友達いなそう」という言葉で誰かを貶める、上っ面の友情関係に縋っているような人間には、興味が沸かない。
こういう人間は、会話の中に、ことあるごとに「友達が○○に住んでて〜」「友達が××に勤めてて〜」「友だちが□□と知り合いで〜」といったように、友人エピソードを通して、そんな友人と付き合いのある自分を誇示してくる。
友人を引き合いにしながら、自分自身を価値のある人間に見せることに精一杯なようだ。
私は、こういった会話の場に居合わせたときは、いつも心の中で苦笑いしながら思う。
「して、あなたは何者なんですか?誰なんですか?」と。
あなたの友人らしいひとたちがすごいことはわかりました。それで、あなた自身はどのようなひとなのですか?と。
私には、友だちがいない。それがいいこととは決して思わない。私には友だちがいないが、友だちなどいらないと言っているわけではない。お互いをきちんと理解した信頼関係を築けるような友人がいたらいいなと思う。
だから、やっぱり友達がいない私は欠陥で不全な人間であることは間違いない。おう、間違いがないっ。
だけど、孤独を受け入れる覚悟も勇気もなく、自分自身を誇示することに注力し、誰かを傷つけて貶めて嗤うような人間とは関わりたくないなあと思う。まさにそんな人間とは友達になりたくないと思う。友達いない私が言うのもアレだが。
私は自分の欠陥に気づいている。だから見栄を張らなくてもいい、自身を誇示する必要もない。だって、恐れていないからね。「友達いない」認定されることを。実際友達いないし。「友達いない認定」を甘んじて受け入れる姿勢であるから。